音楽

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2009年10月27日

●グレン・グールド 「バッハ:フーガの技法、インヴェンションとシンフォニア 」

amazon ASIN:B00005HMOW 久しぶりに音楽のエントリを。
最近やたらとバッハが好きになってひたすら聞きまくっており、私の大好きなグレン・グールドが演奏する「フーガの技法、インヴェンションとシンフォニア」 が気に入っている。
グールドはフーガの技法をオルガンで、そのほかをピアノで演奏しているのが、グールドのオルガン演奏はちょっとレアな気がする。

しかし、バッハが楽器を指定していない「フーガの技法」であえてオルガンで演奏するところがグールドらしくひねくれていて良い。しかも、バッハのオリジナルの譜ではなくツェルニー校訂によるピアノ譜で弾くうえに、このおかしなオルガンの音は単に録音と音質が悪いだけかと思ったら、わざとこういう風に録音しているらしいという、念には念を入れたひねくれ度合いである。
演奏方法もとてもオルガン演奏とは思えないらしいのだがそのあたりは私には良くわからない。
「モーツァルトの悪い部分を直しながら弾いてやっている」と豪語するモーツァルト嫌いのグールドが、彼が好きな音楽の父たるバッハの残した辞世の曲をあまりにもひねくれた趣旨で弾いているのはどういつもりなのだろうか?

グレン・グールドの良いところは、既成の常識をはなから考慮に入れず、様々な部分から構成される感情や感覚の全てを、最終的には知性だけで何とか制御して表現しようとする方向性にある。といってもいいと思う。
もちろんそんなものは幻想だと言い切ってしまうのは簡単であるが、本当に先があるのかわからない細く危うい道を、一人の天才がクールに渡ってゆくところを見るのは心を打つものがある。
全てが理性で制御できて表現できる世界があるならぜひ行ってみたいと思わせる、そんな演奏である。

2009年05月18日

●バッハ:「主よ、人の望みの喜びよ」 by ワイセンベルク / 公人として、私人としてのバッハ

amazon ASIN:B000CSUXZW 一昨日に「主よ、人の望みの喜びよ」は誤訳ではないか?正確には「主よ、私の魂の喜びである貴方よ」とでもすべきである。ってな事を書いたので、ついでにマイラ・ヘスではない「主よ、人の望みの喜びよ」の紹介。
この「主よ、人の望みの喜びよ」が入ったこのアレクシス・ワイセンベルクのCDはバッハ好きにはたまらない全曲バッハ構成である。
タイトルになっている「主よ、人の望みの喜びよ」はマイラ・ヘスのひたすら内向するような演奏に比べて大分外交的というか「他人のために弾いている」という印象を受ける。
個人的にはこの曲に関しては曲の雰囲気から言って、井戸を掘るようなマイラ・ヘスの演奏が好みである。
しかし、BWV543のイ短調のプレリュードとフーガ、BWV855aのロ短調の「シャコンヌ」の演奏が熱い。これは熱すぎる。

バッハってのは宮廷の楽師長やら楽長やら合唱長なる地位を歴任して、社会的にはそれなりに不自由のない生活をした人である。
バッハのころは音楽家など芸術家ではなく召し使いであるとされていたころであるから、音楽家はパトロンやスポンサーの望む音楽を作る事が仕事であったはずで、バッハも少なくともそのことを納得してそのような仕事をしていたように思える。
しかしながら、バッハはそういったいわば注文制作の音楽に個人性を忍ばせて自己表現をしていた。と、私は思う。
彼の作るチェンバロ曲やヴァイオリン曲などのシンプルな構成の楽曲にはそういった雰囲気が現れているように思えるのだ。

で、このCDの話に戻るが、このアレクシス・ワイセンベルクの演奏はそういった公としてのバッハと個人としてのバッハの両方がよく引き立っているように思えるのであった。

2009年05月16日

●人の誤訳のグタグタよ

最近バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」のピアノ編曲版が聞こえてくることが多ったのだが、ふとこのタイトルの意味が良くわからないことに気づいた。

amazon ASIN:B0007INZPC この曲で一番メジャーなのはこのCDやね。
「主よ、人の望みの喜びよ」ってのは「主よ、人の望み(があることは)喜び(です)」なのか「主よ、(あなたが)人の望み(であるのは)喜び(です)よ。」なのか。それともまた別の意味なのか?
ということとでちょっと調べてみた。

元々この曲はバッハのマリアのエリサベト訪問の祝日の147番の教会カンタータ「口と心と行いと生命」のコラールの一部をマイラ・ヘスが編曲してメジャーになったものやけど、そもそも「マリアのエリサベト訪問の祝日」ってのは、聖母マリアがキリストを身ごもった喜びで主を称えた日の話である。

調べたところによると「主よ、人の望みの喜びよ」ってのは、ドイツ語からの英語訳である"JESU, JOY OF MAN’S DESIRING"を更に日本語に訳したものらしい。確かに直訳やね。
しかし、更にドイツ語の原文を調べてみると"Jesu, meiner Seelen Wonne"ということで、カンマ以前と以後は同格であるから、「主よ、私の魂の喜び(である主)よ」と二回呼びかけていることになるようだ。なるほどこれならちゃんと意味がわかる。

というか、これはこれは洗礼者ヨハネの母エリザベートの前で聖母マリアがキリストを称えて言った台詞、ルカ1・46~55の「マリアの讃歌」、いわゆる「マニフィカト」の「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」に対応している言葉であろうね。
となると日本語に訳す時に間違えたというよりは、英語訳がそもそも間違っているように見える。
しかし、ここの一番肝心な所を誤訳するとは、しかも原形をとどめないほどに誤訳するのはちょっといただけないと思う。

しかし、世の中にはこんな感じで誤訳がメジャーになったことって沢山あるのだろうなと。

2009年04月13日

●「ブラームス:チェロ・ソナタ第1番&第&番」ジャクリーヌ・デュ・プレ、ダニエル・バレンボイム

amazon ASIN:B0001O3Y8K 最近よく聴くのはコレ、バレンボイムが妻である夭折の天才チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレと競演した1967年録音のこのアルバム、「ブラームス:チェロ・ソナタ第1番&第2番」である。

ジャクリーヌ・デュ・プレって人は情緒的に感情的に演奏するタイプの人らしく、なるほどこの演奏を聴いているとそんな感じである。
新婚さんいらっしゃ~い。てな勢いで、天真爛漫に歌い上げているジャクリーヌ・デュ・プレに、「まぁまぁ」とちょっとだけ空気読まないような感じで入ってくるバレンボイムがとてもいい感じに噛み合っており、聞いているとなんとも心地いい。
なんというか「メロンに塩」といったところだろか。もちろんメロンがジャクリーヌ・デュ・プレね。

しかし一番の感想はこのジャケットを見て「バレンボイム若っ!しかも目つき悪っ!」であったりする。

2009年04月05日

●グレン・グールド「ブラームス:4つのバラード、2つのラプソディ、間奏曲集」

amazon ASIN:B0002ZEZVI ブラームスと言うとロマン派であるけど、昔からロマン派と呼ばれる作曲家のピアノ、しかもソナタでもコンチェルトでもないのは甘ったる過ぎてあまり好きではないので、このCDはグールドのCDの中ではゴールドベルグに次いで有名なものひとつであるけど、今まで聴いたことが無かった。
しかし、最近、ブラームスのピアノソナタとチェロソナタ、そして交響曲を聴いて、ブラームスのイメージが一変した上に、私の中では「わたしずるいんですの原節子」な某レディーのお気に入りの一枚でもあるということで、もうこれはぜひ聴いておかんとと言うことで聴いてみた。

このCDは「ロマン派」という括りで言及されるので、甘々なグールドなんか見たくないし甘々な曲なんか聴きたくないと多少覚悟して聞いたのだが、流石にグールドはそんな曲を弾く筈が無い。
確かにグールドにすれば甘い方やけど、甘すぎない甘みをちゃんと表現していてこれは心地よかった。
なんというか、生クリームと砂糖べったりのショートケーキではなく、サツマイモやかぼちゃの甘みがきっちり出ているパイと言う感じであろうか。

それに何よりグールドのCDの中で一番ジャケットが好きなのもこのCDである。ふんぞり返ったグールドがグールドらしくて良い感じである。
このCDの間奏曲が彼のピアニストのキャリアとしての最初期の録音で、「バラード集」と「2つのラプソディ」は彼の最後の録音ということであるけど、やっぱり「バラード集」と「2つのラプソディ」がきりっとしていて素晴らしい。
美しさが神経質さと同居しているようなグールド独特の雰囲気が良く出ているように思う。

2009年03月30日

●グレン・グールド「モーツァルト:ピアノソナタ集」

amazon ASIN:B0002ZEZVS 最近ちょっと自分の「音楽の聴き方」ってのにかなり疑問を持ち始めたと言うこともあって、印象とか感覚とかで持ってるCDについて感想を書いてみようと思う。

最近結構気に入って聞いているのが、私の好きなピアニストであるグレン・グールドの「モーツァルト:ピアノソナタ集」で、全編を通して、モーツァルトとして聞けば異様な雰囲気の漂っているCDである。

攻撃ヘリから軽機関砲の弾幕でベトコンの野営地をなぎ倒すようなイ短調K.310の第一楽章、それとは逆に異様にテンポが遅くて躓きそうで、アルペジオが更に異様な雰囲気をかもし出している「トルコ行進曲」が有名どころだろう。

モーツァルトのピアノソナタってなんとなく軽快なイメージがあるけど、異様に早かったり気色悪いほどに遅いグールドの演奏を聴いていると、なんかどこにもたどり着けず同じところをぐるぐる回っているような感覚に陥ってくる。
こんな事いうと怒られそうやけど、グールドと言う人間の救いの無さが良く現れているように思う。

しかし、グレン・グールド自身の救いのなさってのは、結局人間一般の救いの無さと、人生一般の救いの無さの一つの表現系であるだろう。
一人の孤独な男の陥った地獄を垣間見ることは、ある種の慰めになるように思う。
しかし、こんな音楽の聴き方はあまり一般的でないネクラ系の聞き方だろうなぁ。このCDを聴いていると、なんかつくづくグールドって寂しかったんやろなぁという気がするのであった。

2009年02月26日

●ブラームスを聴き始めた

最近職場の人にCDをお薦めしてもらう事が多くなり、ダニエル・バレンボイムの演奏するバッハやブラームスのソナタなど、今まで聞かなかったような音楽を聴くことが多い。

私が偏屈なせいか、今まで誰にも聞くこと無く一人で聴く音楽を選んでいたけど、お勧めして下さるCDを聴いているうちに私は今までなんと暗くて深刻で思い詰めた様な音楽ばかり聴いていたのだろうかと思うようになった。
「深刻になることは必ずしも、真実に近づくことではない。」と村上春樹が言っていたけど、そんなものばかり聞いていてどこにたどり着けるというのだろうか。
深刻ではないけど、きりっとして上品で華やかな音楽の良さもあるなぁと思うようになってきた気がする。
amazon ASIN:B00000I7VT
と言うことで最近よく聴いているパールマンとアシュケナージのブラームス ヴァイオリンソナタ全集

2009年02月09日

●エクスタシーの歌~ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの世界

amazon ASIN:B0014W8T1A 久しぶりにCDを買った。
「エクスタシーの歌~ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの世界」とちょっと怪しげなタイトルであるけど、一応ちゃんとした中世の宗教音楽である。

「中世ヨーロッパ最大の賢女」とも「ラインの女預言者」とも「ドイツ薬草学の祖」とも呼ばれる、中世ドイツの女子修道院長であるヒルデガルト・フォン・ビンゲンの宗教曲集で、「セクエンツィア」なる中世音楽アンサンブルによるものである。ドイツ・ハルモニア・ムンディの限定版で1000円ととても安かった。
単旋律の伴奏なしの殆どユニゾンと言うことで、ほぼ同時代のグレゴリオ聖歌と同じような作りやけど、このCDに入っている曲はほぼ高音域の女声が殆どでグレゴリオ聖歌とはかなり違った印象を受ける。
元々ルネッサンス期のオケゲム、ジョスカン・デ・プレ、ギヨーム・デュファイなどの宗教曲が好きで良く聴いているけど、それより数百年前のビンゲンのヒルデガルトの音楽は、構成が単純な分だけよりトリップ感は大きいような気がする。

ビブラートしない女声の高音域で歌われる単純で綺麗な旋律を聴いていると、いつの間にかなんともいえない恍惚感に似た変なダウナー系トリップ感に結構深く入りそうになるのだが、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは幻視者でもあったということで、その幻視を垣間見たような気分になる。

男性がキリスト教の神に向かうのと、女性がキリスト教の神に向かうのとでは、若干信仰の形が違うと言うけど、なんかこれは男の宗教者にはない境地なんやろうな、となんとなく想像出来る様な気がする。
男である私にとってこのヒルデガルト・フォン・ビンゲンの音楽は、なんかちょっと見てはいけないものをふと見てしまったような、なんだかちょっと危険な香りがするのであった。

宗教的奇人風の幻視者でありながら、音楽にも文学にも科学にも秀でた知的に突出した面をもつ、このヒルデガルト・フォン・ビンゲンなる人物に興味が出てきたので、彼女が書いたものか、彼女についての本でも読もうかなと言う気になってきた。

しかし、今から910年ほど前の人が作った音楽が聴けるとは、考えれば気の遠くなるような話ではある。

2008年09月01日

●ベートーヴェン:最後期のピアノソナタ マリヤ・グリンベルク / 最後に地上に還る五つの変奏曲

amazon ASIN:B00005EZJ0 ちょうど100年前の1908年に生まれたロシアの女性ピアニストであるマリア・グリンベルクのベートーヴェンの最後期のピアノソナタを聴いた。
彼女はソ連のピアニストで初めてベートーヴェンのピアノソナタ全集を録音した人物であるらしく、このCDの曲はその一部だと思われる。

ベートーヴェンの最後の三つのピアノソナタ、特に32番のハ短調は私が最も好きな曲のひとつで、今までいろいろな人の演奏を、アシュケナージ、グルダ、バックハウス、アラウ、内田光子、ケンプ、グールド、シュナーベル、ポリーニ、ギレリス、(他にもいたかな?)などを聴いてきた。そしてその中での私の基準演奏は、始めて聴いてベートーヴェンに開眼したアシュケナージの演奏である。

このグリンベルグのピアノはとにかくパワフルで、私の中の基準であるアシュケナージはもとより、今まで効いた誰よりもエネルギーに溢れる演奏であったような印象を受けた。
彼女のこの演奏からすれば、アシュケーナージの演奏はとても女性的で線の細いように思えるくらいである。

主題と五つの変奏曲からなる32番の第二楽章やけど、今まで誰の演奏を聴くにしても、第四変奏は現実離れしてるほどに端正すぎてそれほど好きでなく、一番好きな第三変奏に至る過程にばかりに注目して聞いていた。
でもこのグリンベルクの第四、第五変奏は今までに無いくらい人間臭い演奏でとてもびっくりしたと同時に、この曲の捉え方ががらっと変わった。

この曲を評する時に誰しもが「広大な世界に精神を開放して高揚するかのような第二楽章」というニュアンスの事を言うけど、その遠い世界に飛び立った最たる部分が第四変奏であろう。
しかしグリンベルクの演奏は、第四変奏で高く飛びながらも人間味を残し、他の演奏家では別の世界に到達したかのように聴こえる第五変奏を、厚みを増してこの世にちゃんと戻ってきたかのよう弾いているように思える。

今までこの曲は、精神が苦悩とか欲望を超越して完全に別の世界に行ってしまうからこそ好きなんやったけど、最近はそう言う感覚がちょっと無くなって来た事もあり、好きな曲と言いつつもあまり聴いてなかった。
でも、久しぶりにこの演奏家の演奏するこの曲を聴いて、とても感動したし、この曲の捉え方ががらっと変わった。

前からピアノを弾けるようになりたいなぁとはぼんやり思っていたけど、このグリンベルクの演奏を聴いてますますその思いは強くなった。
とはいっても家にはピアノどころかキーボードすらないので何も出来ないところが悲しい。
とりあえずなんか適当な電子ピアノ見繕って、バイエルから始めようかなと、かなり本気で思うようになった。

2008年05月19日

●ベートーヴェン:最後の三つのピアノソナタ : グレン・グールド

amazon ASIN:B000ULLNQ4 音楽カテゴリに、しかも私の愛するグレン・グールドとベートーヴェンとその最後の三つのピアノソナタについてのエントリにコメントを頂いたので、持っているCDから一枚紹介してみる。

あの強烈なデビュー作である55年版ゴールドベルグ変奏曲によってグレングールドの名は世界に知られたわけやけど、彼がその興行的な大成功の次に録音する事を望んだのがこのCDの三曲、ベートーヴェンの最後の三つのピアノソナタであった。
一般的にこのベートーヴェンの30番、31番、32番の三つのピアノソナタは重くて深刻で天上の高みにあるとも言われて、余りに大層な扱いやら有難がられ方をするものやけど、グールドはそんな扱いに疑問を抱き、新しい解釈を世に問いたかったのかもしれない。

30番は彼自身が第1楽章の美しさを褒め称えていたらしい割には余りに溜め無しにあっさり弾いてしまう、なんというかツンデレな30番である。
それに引き換え31番はテンポが遅い目やけどなんとなく不自然なくらいに丁寧な印象を受ける。彼の丁寧な演奏と言うのはちょっと薄気味悪いけど、次の32番はこれでもかと言うくらいの怒涛のテンポで繰り出されて殆ど適当とも言えなくも無い演奏である。

初めて聴いた時は私の大好きな32番の第二楽章の五つの変奏の適当さと、31番の第三楽章後のフーガのわざとらしさに怒りさえ覚えたけど、今となればこのぶっ飛び加減がとても素晴らしい。

今までの重々しい深刻な解釈と真っ向から対立するような演奏で、ジャケット写真のようなうっとりグールドでやっぱりベートーヴェンと言うよりはグールドという雰囲気満点である。

京都のラーメン好きは「天下一品のラーメンはラーメンではなく天一という食べ物である。」という事をよく言うけど、同様にグールドはバッハを弾こうがモーツァルトやベートーヴェンを弾こうが、グールドにしか聞こえない。
以前から私は以上のような根拠で「グールドは天一」という説を唱えているけど、このCDは「グールドは何を弾いてもグールド」というところを余す事無く示してくれるCDでは無いだろうかと思う。
何気に密かに私の中々の愛聴版である。

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