日記/雑記/妄談

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2009年11月17日

●東の小悪魔(直接的な意味で)が逮捕された / 「直接的な意味で」の弁論術

先日婚活サギというかもうほとんど婚活殺人の話をしていて、もうこれは歴史に残るレベル、小悪魔とか悪女とか可愛いもんじゃなくて、直接的な意味で小悪魔で悪女やな。
などと話していたのだが、なんでも人やものを比喩的に表す言葉の前や後ろに括弧でくくったりして「直接的な意味で」とつけると凄く馬鹿にしているような気がする。

たとえば、「彼女は直接的な意味で小悪魔である」を筆頭に「彼は危険なオトコなの(直接的な意味で)」「あの女性は直接的な意味で妖精のようだ」「あの人はまるでトトロのようだわ(直接的な意味で)」
となると言われた本人は腹立つやろうなぁ…
一般的には肯定的な意味での比喩的表現として使われる言葉を、逆に直接的表現として否定的な意味合いを持たせて使うというのは、なかなかにハイレベルな弁論術だと思った。

2009年11月15日

●押入り漬物店員 / バイオレンスな夢

久しぶりにストーリと脈絡のある夢を見た。

奥の部屋に入ると、怪しい男がいた。
男はこっちを見ると「漬物屋です!電話借ります!」といって電話をどこかにかけている。
いかにも怪しく、空き巣だと確信したので、窓を開けて「警察呼んでください!!泥棒です!!」と叫んだ。
それを聞いた男は受話器を置いて振り向き、憤怒の形相で「漬物屋やって言ってるやろ!!」と叫び、左手で胸倉をつかもうと手を伸ばしてきた。
とっさに左手で相手の左手首をつかみ、体を開きつつ右手の脇で相手の肘を極め、床に倒しつつ脇固め。完璧に極まった。動画で見ると大体こんな感じ。
男は動けないながらもやたらと叫ぶので「黙らんと折るよ、警察が来るまでじっとしてろ」と言ってみる。
男は苦しみながらも「漬物屋や言ってるやろ!折れるもんなら折ってみろ!!漬物屋やって!漬物屋!!」と言って一向に黙らないので、腕はちょっとあれやし指にしとくか、と相手の中指をつかんで思いっきり捻って逆に曲げてみる。
バキバキ言うた上に男の痛がりっぷりが凄いのでどうやら折れたっぽい。
男は滅茶苦茶に叫びだして「痛い!!おとなしくするから離してくれ!」と懇願するので、「絶対抵抗しない?」と聞き、男が逃げたり抵抗したりしないと約束したので腕を離す。
男は立ち上がって折れた指を痛がっていたけど、やおら右手で胸ポケットから何かを出した。どうやら飛び出しナイフっぽい。

男は下に向けて刃を出してこちらに向けて勝ち誇っように笑う。
それを見て私も一緒に笑う。「わはははナイフてはははははは」
男が「何笑ってるねん!」と言ったところで、私は笑い止んでジャケットの下から小型拳銃をを取り出して男に向ける。もちろんP230
男は驚いてナイフを捨てて両手を上げたけど、気にせずスライドを引いて初弾を薬室に装填、男の右足の甲を撃つ。
足の甲から血しぶきが上がり、男はたまらず倒れて足を押さえて叫んでいる。もう床が血らだけ。おびえた顔でこちらを見る男に銃を向けると男は必死で命乞いをしながら後ろに後ずさる。
銃を突きつけながら壁まで追い詰めて額にサイティング、指をトリガーにかける。
ゆっくりとトリガー引いてハンマーが落ちる瞬間右に20センチずらす、弾は男の顔のすぐ横の壁にめり込み、穴からパラパラと粉が落ちている。
「びっくりした??」
男ががくがく震えながら頷いたのを確認して、ハンマーをデコッキングして銃を下ろしたところに制服警官登場、あっけにとられてポカーンとしている。
「何これ??血??泥棒??被害者??」
私は「強盗がナイフを出したので、壁に向けて一発威嚇射撃してナイフを捨てるように言いました。それでも男はナイフを捨てずに向かってきたのでやむなく足を撃ちました。」と言って男を警察に引き渡す。

警察の取調べの結果、男は本当に漬物店の店員だったらしく、店の金を使い込んで逃亡中、ここに空き巣に入ったらしい。電話の相手は年老いた父親だったようだ。
銃を所持していた私は何故かお咎めなし。

しかしこの夢は妙にリアルだった、指折ったときの感触、ガチャっというスライドの閉鎖音、撃った時のリコイル、足を貫通した時の血しぶき…
昔から私は何かを追いかけることはあっても、追いかけられたり何かから逃げる夢を見たことがない。しかも何故か夢の中では妙に強くてバイオレンスなのであった。

2009年11月11日

●パンクも一日二回ではびっくりでござる / 雨に走れば / 自転車に乗ろう

昨日は夕方から雨らしいということを聞いていたので雨用自転車で出勤した。
以前から雨用自転車のタイヤのサイド部分がほつれて来ていて「そろそろタイヤ買い替えやなぁ」と思っていたのだが、出勤前に見たらほつれる程度だったものがすでに少し裂けており、ほとんど中のチューブが見えるくらいになっていた。
「これはやばいなぁ」と思いながらも、まぁ一日くらい大丈夫やろうと高をくくってその雨用マウンテンに乗っていったら、急激なブレーキング中に「ぷしゅー」と力の抜けるような音、案の定職場までの道半ばでパンクした。
あーやっぱりーとガックシしながら、道端でチューブ交換する。通学途中の女子中学生に胡散臭そうな目で見られ、集団登校の小学生の群れと暇そうなおばあちゃんにやいのやいの言われて慈愛の微笑を返しつつ心の中で「うるせー!!」と叫ぶ。
ロスタイム五分で職場までこぎつけ、帰りは帰り道の自転車屋さんで新しいタイヤを買って帰ろうと決心する。
そして仕事後、雨降る帰り道にまたしてもパンク、出勤時、もしくは帰宅時にパンクしたことはあるけど、行きと帰りの二回パンクしたのは始めてである。予備チューブがないので雨の中自転車を押しながらいつも行く自転車屋さんになんとか閉店間際に到着した。

私の雨用自転車は、フレームの前三角が白で後ろ三角が赤いマウンテンバイクである。
前のタイヤはこの間交換したばかりの「そんなに安いのか!」と驚いた白いタイヤだったので、後輪もこれと同じタイヤの後ろ半分のフレームの色に合わせた赤か、前タイヤの色に合わせた白にするつもりであった。
店主に「これと同じタイヤの白か赤をよこすのじゃ」と申し渡す。店主は「ははーっ」と在庫確認に奥に引っ込む。
そしてしばらく後に二本のタイヤを持って戻ってきた店主の手には白とピンクのタイヤが。店主曰く「あったのはこれだけ、赤は売り切れにござります」
本来なら赤タイヤ取り寄せてもらうところであるが、とにかく今日乗って帰るためにはタイヤが必要である。
このどちらかを選ばなければいけない。本来なら迷うことなく最初から選択肢に入っていた白を選ぶはずの私であるが、何かが私を一瞬押しとどめ口から出た言葉は「大儀である。ではピンクをいただこう」であった。
店主は半ば驚いた顔で「ピンクですか!?」と絶句する。「あなたのようなオッサンがピンクのタイヤの自転車にお乗りになるので?」とでも言いたそうな顔であるが、武士に二言はないとばかりに鷹揚に頷いてみせる。

そしてそのピンクのタイヤをチューブと一緒に購入し、お店の中を借りてタイヤ交換した後自転車に装着してみると、これはこれは意外にプリティである。
ただ、店主の噛み殺した問いのように、これに乗っているのがオッサンであるという点だけが問題である。しかしこればかりはどうしようもない。

しかし漕ぎ出だしてしばらく走っていると、土砂降りの雨の中を後輪でくるくる回っているピンクのタイヤが何かの拍子に視界に入る度に妙な可笑しさがこみ上げてくる。回転するピンクのタイヤとはねる水飛沫の光学的な美しさが目に沁みる。

疋田智によって街町乗り自転車が一つのの思想やライフスタイルとも言うべき位置にまで押し上げられて久しい。雨用、遠乗り用、街乗り用と三つの自転車を乗り分けている私もその思想やライフスタイルに大いに賛同するものである。
街で自転車に乗ることの楽しさと言うのは、非日常的な強烈な経験によってもたらされるものであるというよりも、日々の変化を肌で感じ、流れる景色と時間と人々の営みの間を通り抜ける、日常的でどこからともなく込み上げて来るような自然な楽しさである。大げさに言えば生きる事そのものの楽しさの延長線上にあるように思う。
今日も出勤時は酷い雨だったのだが、このピンクのタイヤのお陰で楽しく自転車に乗れた。
まぁ、しばらくすればこのピンクのタイヤも見慣れてなんとも思わなくなるかもしれないけど、それでも、久しぶりに自転車ってば楽しいなぁと思わせてくれたピンクのタイヤであった。

2000円しない安価さと、自転車全体を見違えさせてしまうインパクトをもったこのタイヤは、MTB街乗りパイロットの諸氏、はたまた26インチのママチャリライダーの皆様に、自転車の楽しさを教えてくれる逸品としておすすめである。

2009年11月10日

●サウンド・オブ・ネコ / ニャーの歌

先日「猿の惑星」の猿をネコに入れ替えて「ネコの惑星ニャー」とでもすれば和み系映画になるということを書いたが、その「ネコの惑星ニャー」の話をしていて、「サウンド・オブ・ネコ」という映画はどうだろうということになった。
ストーリーは、拾われてきたネコが厳格な父の元で殺伐としていた家庭を和ませるも、忍び寄るナチスの影に家族はスイスへの亡命を決意する。
入念な計画の後、逃亡するために家を出た瞬間に家族はナチスの親衛隊に囲まれる。
絶体絶命のピンチにネコバスに変身した拾われてきたネコが現れ、ナチス親衛隊をネコキックとネコパンチのうえズタズタに食い殺し、家族を乗せて「ニャーの歌」を歌いながら血まみれでアルプスを越える。

「ド」はドーナツのニャー
「レ」はレモンのニャー
「ミ」はみんなのニャー

「ファ」はファイトのニャー
「ソ」は青いそニャー
「ラ」はラッパのニャー
「シ」はしあわニャニャー
さあ歌ニャニャニャー

以上が「ニャーの歌」であるが、自分勝手で我侭で非常にネコっぽくて良いと思うのだがどうだろう?

さらに「ニャンヌダルク -オルレアンのネコ-」というのも思いついたのだが…ストーリーは…
はい、もう良いですね…

2009年11月03日

●ロフトでスポイトを買いそうになり、そして睨まれて「ぷぃっ!」とされる

ロフトに行くたびに「スポイト」を買いそうになるのは一体なぜだろう?
特に使う予定も無い、もしあれば何かの役に立つかもしれない、あっても邪魔になるわけでもない、限りなく手ごろな値段の、何処にでも売っているわけではない、それがスポイト。
目的を持たない「物欲のイデア」が純粋な形で結実した結果、私の中で「スポイトを求める」として現実化するのだろう。

ロフトでとても太った女性がレジに並んでいて、見るとも無くぼんやり見ていたら、めっちゃ睨まれて「ぷぃっ!」とされた。
「何や、感じ悪い人やなぁ」と思ったらその人は買うつもりらしい体重計を両手で抱きかかえるようにしてレジに並んでいたようだ。どうやら体重計を買うのが恥ずかしかったらしい。
彼女は家に帰ってお風呂上りに今日買った単行本より少し大きいくらいの体重計に乗って深い溜息をつくのだろう。
そう思った瞬間にちょっと胸がキュンとした。

2009年10月21日

●かっちゃん…

私がこのブログを始める時にこれだけは決してするまいと決意していた事があった。
それは「社会情勢を斬ったり時事ニュースに意見を述べる」という事なのだが、昨日は余りにも戸塚校長の意見に笑ってしまったので、つい出来心で時事ニュースすれすれに肉薄したことを書いてしまいかなり反省している。
しかし、今日もニュースを見て昨日以上に笑ってしまったので、もうその禁を破り時事ニュースそのものを扱ってしまう。
とりあえず、一応、ギリギリ踏みとどまってニュース内容そのものの転載は控える。
ニュース内容はこちらを見ていただこう。WEBニュースはすぐ流れて消えるので一応魚拓である。
どうだろう?一番ツボにはまるのは「おはよう かっちゃんです」のくだりであろうか?
刑事犯罪の容疑者を褒めるのもなんであるが、私はこのバカさ加減に感動すら覚えた。変態を自認する私ではあるが、この「かっちゃん」の変態度合いは私の想像できる範囲のはるか上空を舞っている。正に孤高としか言いようが無い。
なんというか、人間の欲望の広さと精神性の深さを痛感せざるを得ない、人間の可能性の無限の深遠が眼前に開いたのを見たかのようなニュースであった。彼は間違いなく他人が誰一人として理解できない超人への道を着実に歩んでおり、常人の理解できない最初の一歩だか最期の一歩だか踏み出してしまったのであろう。
最初「かっちゃん」という名を聞いて私の敬愛する勝山実氏かとギョッとしたのだがどうやら違ったようで一安心であった。

しかし、個人的経験からすると、「かっちゃん」という人間にはいろんな意味で偉人や異人が多いような気がする。とつくづく思ったのであった…

2009年10月20日

●ハートマンの罵倒の方がまだ愛が入っている!

荻上チキのTwitter
「数ある「いじめ必要論」の中でも、群を抜いてるな…。 http://bit.ly/44uCvw
と紹介されていたので、なんだろうと?開いてみて笑った。

まぁなんか言わんとすることは頑張ればなんとなく理解できるけど、根本的に何かが間違っているとしか思えないので、どう読んでもネタというか釣りで書いているようにしか見えないが、言ってる人が人なのでガチ正論のつもりで書いているのだろう。
私はええ年のオッサンであるからこれを読んでもバカだなぁとケラケラ笑えるけど、実際こんなことを胸を張って公衆の面前で言い切ってしまうオッサンが校長のヨットスクールに入校させられる子供たちは笑うどころかもう怖いしかないんやろうなぁ。
極限状態ってのはやむなく入ってしまうものであって、意図して作る必要なんか無いとつくづく思うのであった。

2009年10月14日

●安心感と魅力は別の話

hotcold2.jpg先日入れるところ間違えてるんではないか?と思った「冷たいほっとレモン」であるが、いつの間にか「あたたか~い」欄に入っていた。確かにこちらのほうがしっくり来る。
店員さんが「やっべ!間違えてた!」と入れ替えている様を想像すると「くすっ」とした。

しかし「つめた~いほっとレモン」があれほど飲みたかったのに対して、「あたたか~いほっとレモン」は全く飲みたいとは思わなかった。
なんであっても本来収まっているべきところに収まっているのは見ていて安心感があるが、それが魅力的かどうかとはまったく関係ない。
あれだけ面白かった底辺系や鬱系サイトの中の人がまともに就職したり普通の人になると途端に面白くなくなることが多いように、「ほっとレモン」が「あたたか~い」中に入っているのは何の違和感もないと同時に何の魅力もないなぁと感じるのであった。

2009年10月05日

●キノコの夢

三メートルくらい幅のある川の水面から二メートルほどの高さの、すぐ横が山肌になっている堤防を歩いていたら、崖から張り出している立ち枯れた木に大量のマイタケ状のキノコがびっしり張り付いていた。
私は基本的に食い意地が張っていて、とりあえず何でも食べてみるのだが、キノコだけは知識不足のために手を出せない。
でも「これ食べられるのかな?」と思って周りを見渡すと、一転してあたり一面見渡す限りのキノコ。
草間彌生ちっくにキノコがありとあらゆる空間にびっしり生えている風景になっていた。

という夢を見たのを、中井久夫の本を読んでいて「キノコ中毒学はすべて死体の上に築かれてきたといわれます。」という言葉を読んで思い出した。
しかし最近なぜかよく夢を見る。

2009年09月30日

●妄想ネスト

最近は思いつくひきこもり関連書籍をおおむね読み終わり、統合失調症の本を読みながら寝る事が多いせいか変な夢を見ることが多い。
夢の中で妄想を抱いているというのもおかしな話であるが、夢の中で見る電波系の妄想は現実としか思えないことが多くてとても気持ち悪い。
しかもその夢の中ではそれを妄想だと思う自分と現実だと思う自分が分離していてさらにややこしい。

統合失調症という病気は自分と自分の外の境目があいまいになる病気ということであるけど、夢の中にいること自体が現実と妄想が入り混じった状態であるから、その中でさらに妄想するということは妄想の中の妄想という状態である。
しかし、妄想と現実の関係は裏と表ではないから、嘘の嘘が本当であるように、妄想の妄想が現実であるという事は無いわけで、妄想の中の妄想は更に深い妄想でしかない。
妄想を根源とした妄想は余りにも理解の範囲を超えているけど、しかし、どう考えても妄想でしかいないような事が現実に起こりうるということもあるから更にややこしい。

我々は日常的に何の疑いも無く現実と妄想を区別しているけど、よく考えれば妄想と現実を区別する根拠を現実に置くというのは単なる相対的な比較の問題に過ぎず、かなり不安定な状態を前提にしているような気がする。
そう考えると、精神の均衡なんか本当に絶妙なバランスの上で成り立つ事で、ちょっとした事で狂ってしまう方が当たり前のような気もしてくる。

はっきり言って、世の中理不尽な事が多すぎる。色々な事に対して怒りがこみ上げる。自分に出来ない事が多すぎる。
表面的には平静を保っていても、内部ではざわざわと色々なものがうごめいている。
9月もこの日で終わり。そして驚くべき事に、一ヵ月後には10月の終わりが来るのだ。

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