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2009年06月28日

●買って来た生肉を食べるといふこと /臓器商人マダム・モツとの対話

モツといえば今までお店でモツ鍋やらホルモン焼として食べるばかりであったが、初めてモツ専門店で生で売っているモツを買って来て調理して食べた。
店先のショーウィンドウのアルミのバットに各種臓器がでーんと並んでいるのはなかなかすごい光景である。こう見ると臓器というのがありとあらゆる色と形状をしていており、その多様さはそれら臓器が担っている様々な機能やシステムの多様さでもあるのだろうと想像できる。そして、その臓器の多様な恒常システムのお陰でわれわれが生きていられるのをしみじみ感じる。ような気がする。
そしてお客さんが来るたびに巨大な臓器が塊から切り出されて売り飛ばされてゆくのはちょっとしたカルチャーショックというくらいのインパクトである。
私が物珍しげに売られている臓器や肉塊をルンルンで眺めていると、お店の人が話しかけてくれていろいろと説明してもらい、臓器と内臓と生命の神秘について、お店で臓器を商っている「マダム・モツ」と小一時間語り合ったのであった。

とりあえずいろいろなモツがセットになっている「モツ詰め合わせ」的なものと、なんとなく気に入った「ハチノス」を買ったのだが、100グラム50円なるやたらと安い単価で目を引いた「チレ」なるモツについて質問してみると、どうやらそれは牛の脾臓らしく、レバーと同じように料理すればいいらしい。
お店のマダム・モツが言うには「私らは生のままユッケのようにして食べているけど、新鮮ではあるが生食用として売ってはいないので、生で食べられますとは言えない。」ということで、要するに生で食べるなら自己責任で。ということであるらしい。
店先で買って来た生肉を食べるという行為に激しく心を動かされ、まぁ安いしとりあえず、ということでそれも買ってきた。

焼いて食べるなら薄皮一枚を剥がして、生で食べる時はその下の厚い皮も剥がしてと教えてくれたので、魚の皮をひく要領で皮をめくって3x1センチ位の短冊に切って、ごま油と塩とラー油を少したらして食べてみると、これは美味しい。かなり美味しい。
とりあえず適当な量のチレと刻んだネギ生姜も加えて食べた。
あるだけ全部食べたかったけど、大量に食べるとお腹壊しそうだったのでほどほどにしておいたが、ちょっとした肉食獣の気分であった。
小皿に一盛り食べてまったくお腹を壊さなかったので、もっと食べればよかったとも思う。

残りのチレは、レバーと同じだというので、皮を全て剥いだものと、薄皮一枚だけを剥いだものをフライパンで塩コショウと生姜で炒めて蒸し焼きにしてみた。
確かに味はレバーであるが、薄皮一枚だけ剥いだものは表面の皮の感触がグニグニしていて不思議な食感であった。焼くならもっと臭みを取るような味付けのほうがよさそうである。

で、メインのモツ鍋を以下のように作ってみた。

1、「モツセット」と「ハチノス」は小さく切って丁寧に水洗いし、さっと茹でた後に、もう一度水を替えて茹でて下茹でとした。
2、鍋にお湯を沸かしてモツとネギと土生姜を投入して煮込んだ後、お店でもらった焼肉のたれ状のものと味噌を入れて味を付ける。
3、キャベツやらネギやら野菜を山盛り投入し、蓋をしてグツグツ…
4、野菜がヘナヘナになったら食べる。
5、具がなくなったら残りのだしに中華そばなどを入れてグツグツ…

・ネットで持つ鍋の作り方を調べていて、モツの下ごしらえと料理は臭みを如何に抜くかというのがコンセプトであるようなことが書いてあり、どれだけくさいのかと思っていたけど、大して臭くなかった。これならもう少し下茹でを短くし、モツ自体からもっとだしをとっても良かった。
・だしとして焼肉のたれと味噌を入れて味を見た時に、たれの味しかせずにちょっとした「やっちゃった感」を感じて失敗したような気がしたけど、野菜から出る甘みで後から美味しくなった。

ただ出てくるのを食べるのと、自分で調理して下ごしらえすると料理の印象はまったく違うのでは当たり前であるけど、ただの薄っぺらい膜や管状組織や立体構造をもつ器官の断片でしかない生のモツを洗ったり切ったりする為に見て触っていると、これも食べ物なのか…とかなりのカルチャーショックを受けた。
海で魚やら頭足類を捕獲した際に下ごしらえの段階で海に捨てていた内臓も、ちゃんと洗ってちゃんと調理すれば立派に食べられるやん。という確信を得た。
なんというか、店先で買ってきた動物の内臓を調理するだけでなく、生のまま食べるという行為を問題なく実行したことによって、自らの野性性やサバイバル能力を一つ上の段階に押し上げたような気がするのであった。

2009年06月26日

●メール不着の解消

いつごろからか、dogu#dogu.no-ip.org(#をアットマークに)宛てのメールが不着になっていた不具合を解消しました。
メール送ったけど変事がないぞ。という方はもう一度送りなおしていただければ幸いです。m(__)m

2009年06月25日

●映画:「アンダーワールド」「アンダーワールド2 エボリューション」 / ゴシック青い怪物君 / 種族差より個人差

amazon ASIN:B0000YTR50 amazon ASIN:B000FUTUQK なんとなく「アンダーワールド」とその続編「アンダーワールド2 エボリューション」を観た。
吸血鬼であるヴァンパイアと狼男族であるライカンスロープの千年にもわたる抗争は現代でも続いており、優勢のヴァンパイア族はライカン族を絶滅に追い込むべく日々ライカン狩りを行っていた。
地下鉄で狩ろうとしたライカン族に激しい抵抗にあったヴァンパイア族の戦士である主人公は、彼らが地下で群れ紫外線弾などで武装する強力な組織になりつつあることを感じてヴァンパイア族の首領に一斉にライカン族を攻めるべきだと主張するも却下され、単独で捜索を開始するうちに彼らが何かしらの目的を持って動いていることを突き止める。
という感じで物語は始まる。
ヴァンパイアとライカンといえばなんとなく聞こえは良いけど、「吸血鬼」と「狼男」と書いてしまうととたんに「怪物君」を思い出すのは私の年代だからだけではないだろう。
いろいろな怪物が出てきて暴れまくる、ある意味「ゴシック青い怪物君」であった。

古典的で古い題材を使ったゴシックな雰囲気に青い画面でハイテク武器での戦闘の取り合わせが面白かった。
ヴァンパイアは「吸血鬼」、ライカンは「人狼」ではなく「狼男」と訳されているので「狼女」はいないのがちょっと残念といえば残念。ヴァンパイアもライカンも咬むだけで感染して種族を増やすことができるので有性生殖は必要ないということだろうか。

主人公が一応ヴァンパイアなので、ヴァンパイアを正義とした物語で話が始まるものの、ヴァンパイアとライカンの正邪が逆転するという単純な構造でなく、どちらが正義で悪か見分けがつかなくなるようなつくりが以外に面白かった。
とはいっても、主人公が正義であるのは映画的に前提条件くらいになっているのでそこがつまらんといえばつまらん。
結局、ヴァンパイアだのライカンだの人間だのといった種族の違いとか立場の違いというより、個人差とか個人の資質による差が一番大きいというのは我々の日常生活と同じである。

2009年06月24日

●映画:「ヒットマン」/ オッス!オラオレオレ暗殺者

amazon ASIN:B001WBXLYI 某レディーがオモロイオモロイというので「ヒットマン」を観た。
観てから知ったのだが、原作がゲームらしく、製作にリュック・ベッソンが関わっているらしいけど、まぁ映画としては可もなく不可も無くと言ったところ。
あれだけオモロイオモロイと言われていたので期待だけがやたらと高かったのかもしれない。
主人公の名前を持たないヒットマン青年が暗殺者の癖に異様に目立つスーツに赤ネクタイでスキンヘッドにバーコード姿なのが、自己顕示欲の強いオレオレ暗殺者って感じでちょっと可笑しかった。更に次期ボンドガールのオルガ・キュリレンコのビッチぶりがなかなかいい感じであった。

amazon ASIN:B001B6CE74 この映画もレンタルやさんで間違えて借りそうになった、バッタもん臭い「ザ・ヒットマン」ってのがあったのだが…
アマゾンの感想読んでると、なんでもかなりアルツハイマーが進行した殺し屋が主人公だそうで…なんかこっちも面白そうやん…

2009年06月23日

●映画:「ボーンアイデンティティー」「ボーンスプレマシー」「ボーンアルティメイタム」 / ボーン! x3 /オーシャンズ1

amazon ASIN:B00007G0LR amazon ASIN:B00067HDWK 某ごら氏お勧めのボーンシリーズ「ボーンアイデンティティー」「ボーンスプレマシー」「ボーンアルティメイタム」をボーン!ボーン!ボーン!と一度に観た。
特殊任務を帯びた特殊部隊の特殊セクションのエリートだった主人公が記憶を失い、自分自身の存在と自分自身を取り巻く陰謀と謎を追うという話ということで、一応スパイ系アクション映画というくくりになるのだろう。
amazon ASIN:B0011XVU8G 主人公のボーン氏は評判通り、大事故を起こしても「あーびっくりした」という顔で車から降りてくるし、銃で打たれても「イテテテテ」と走り去ってゆく位に頑丈で強すぎる。
しかし、ただハリウッド的アクション映画的強さだけでなく知的でクレバーで論理的で冷静なボーン氏もとても印象に残っている。
しかもそのボーン氏がその辺にいそうな兄ちゃん然とした風貌であるところが良い。
この映画と前後して「ダイ・ハード」の3と4を観たのやけど、その主人公の滅茶苦茶加減に引き換え、基本的に人殺しを避け、無駄に人を殺したり傷つけたりしないボーン氏はとても好感が持てた。
これは「ダイ・ハード」とは違い、ちびっ子にもこれがカッコええ男だ。と安心して見せることができよう。
強く賢くタフでもうオーシャンズ1なボーン氏であった。

銃器マニアとしては、この映画では私の好きな銃器メーカーのSIG Sauer社のものがよく使われていたのがなかなかポイントが高かった。貸金庫にはSIGPROを預けてあるし、遠距離からの狙撃するかもしれないミッションにはR93を選ぶなどとボーン氏はどうもSIGの銃が好きなようである。
その他にもP226、P225、P229、SP2022、SP2009、552、550と中々とSIG製銃器がよく登場しており、
2022-detail-L.jpg私が一番好きなポリマーフレームの銃がSIGPRO系なのだが、意外にメディア露出の少ないこの銃がバリエーション違いで出てきていたのがいい感じであった。

2009年06月22日

●映画:「バンテージポイント」 / 羅生門 でなくカーチェイス

amazon ASIN:B001AE6HFM だいぶ前の話であるが、「バンテージポイント」を観た。
前評判も見た後の感想も結構高いという話で、あるひとつの大統領暗殺事件を複数の目撃者から何通りにも解釈したような映画だという風な予備知識を持って観た。
勝手に黒沢的羅生門的にひとつの事実を複数の人がまったく違うように解釈して、真実がまったくわからんやんけーなストーリーを想像していたのやけど、ひとつの事件に対して目撃者から被害者から加害者までそれに関わった複数の人の視点の断片をつなぎあわせることで、事件全体の真実を浮かび上がらせるというものであり、羅生門の方向性とはまったく違ってとてもわかりやすいものだった。
最初はサスペンス系だと思って見ていたわりに、実際一番印象に残ったのはカーチェイスだったのがちょっと意外だったけど、映画としてはとても面白かった。

amazon ASIN:B001BWTVVK この映画が面白いらしいということを聞いてタイトルをうろ覚えでレンタル屋さんに行き、素で間違えて借りそうになったのがこれ。
並べてみるとやっぱり似てる。紛らわしすぎ…

2009年06月21日

●初海2009 その3 「突きたい背中」(ボラ編、ボラフルコース)

イカとカニは捕獲したものの取るべき魚が見つからない。キジハタもイシダイも見かけず、メバルは十センチちょっとと小さすぎる。一度だけ遠巻きにこちらを伺う巨大チヌと遭遇するも、寄りきらずに海の彼方へ去っていった。
今日の漁獲は頭足類と甲殻類だけで魚類なしか…と思いながら浅場を移動中に、海底付近のテングサの林に頭を突っ込んで何物かをムシャムシャ食べている、まったくこちらに気づいていない巨大ボラを発見した。
本当に野生動物なのかと疑うくらいに無防備すぎる。無条件に大人を疑いの目で見るように教育された最近の小学生のほうがよっぽど警戒心がありそうである。
魚突き人の間でボラを突く事はとても恥ずべきことであるのだが、ちゃんとした魚を狩っていない状態であの無防備な背中を見ていると、突きたい欲求が膨れ上がってくる。
これはもう「突きたい背中」である。結局欲望を抑えきれず、ちゃんと食べるから良いか。と捕獲決定。

20090619bora.jpg 頭を一突きでキルショットと行きたいところだが、藻の中で頭が見えないので十分に間合いを詰めたうえで背鰭の基部にフルパワーの一撃。もうほとんど辻斬りのようである。
ガンガン暴れるのを藻の上に押さえつけて、指ストリンガーで魚を掴んでヤスを抜いて浮上する。ナイフを抜いてまず脳天に一撃、そして鰓蓋から脊椎に向けて刃を差し込んで大動脈一閃、ついでに鰓を毟り取り、活け〆と血抜き完了。ゆらゆら沈んでゆく鰓に群がるベラやカサゴ、ギラギラする水面で手の中で血に染まって死んでゆく魚の血煙で染まる海に酔う。
同じような状況でもう一匹追加して、計二匹の70センチくらいのボラを腰にぶら下げる。イカとボラあわせて本日の捕獲率は100%である。3ショット3キル!さて、こいつをどうやって食べるか。

釣りをする人の間では食べ物ではないという扱いを受けているボラであるが、綺麗な海域のものをちゃんと血抜きしてちゃんと内臓を取って下処理して食べればとても美味しいというのも良く聞く。
海岸で鱗を落とし、内蔵を摘出して可能な限り綺麗に洗う。鱗と内臓を落とした状態で、「ボラのヘソ」あるいは「そろばん」と呼ばれて珍味とされる胃の幽門と一緒に家に持ち帰った。
写真の「鱗落とし」はちゃんとしたお店で買った真鍮製のもので気持ちよくバリバリ落ちる。
包丁の背や百円ショップで売っているようなものを使うのとは雲泥の差である。

可能な限りぬめりを落とし、腹部の内側の脊椎に沿って走る大動脈の外膜を破った上で、歯ブラシやたわしを駆使して可能な限り血合いや良くわからない汚れを落とす。これだけでかいと動脈に残っている血の塊も侮れない臭みとなる。これボラ?っていうくらいにぴっかぴかにして綺麗にする。
ここまでくればボラ自体は余り匂わない。肉質自体はタイに近いものがある。後は三枚におろして、アラと食べる部分に分ける。
刺身にすると白身と血合いのコントラストが綺麗である。
釣りをする人間は「ボラを食べている」と考えると、何か「スカンクの肉を食べている」ような生理的な拒否反応が起こりそうになるのだが、そこをぐっと押さえて食べてみるとまったく臭みを感じずにとても美味しい。タイと称してボラを出す旅館があるというのも頷ける。ボラに対する偏見がない人は、美味しい美味しいと喜んで食べるのが可笑しい。

とりあえず、臭みを消す料理として、カルパッチョ、南蛮漬けにしてみたが文句なしに美味しい。巨大ボラなので肉が分厚く食べ応え満開である。
さらに残ったアラを湯通しした後、きつい目の生姜と一緒に味噌汁にしたのも絶品であった。

結局、ボラの刺身、ボラの洗い、ボラカルパッチョ、ボラ南蛮漬け、ボラ生姜味噌汁と、もうボラフルコース状態だったのだが、どれも文句なく美味しい。しかしこれだけ巨大なのが二匹もいると食べても食べてもボラが減らない…
ということで、次回からは積極的にボラを狩っていこう!ただし一匹だけ…

で、作り方、

ボラの刺身、ボラの洗い:
さく取りして皮を引いたボラの身を薄くおろす、そのまま氷水にくぐらせて身が収縮すれば洗いになる。
でも、厚い目に切ってガリガリした食感で頂く方がいいかも。
皮付きのままキッチンペーパーを被せて熱湯を注いで霜皮造りにもしてみたが、これだけでかいと皮が分厚すぎてグニグニ…

ボラカルパッチョ:
1、にんにくスライスをオリーブオイルで揚げる。良い色になったらにんにくを取っておく。
2、キュウリと玉ねぎの薄切りを皿に敷く
3、皮を引いて刺身状にしたボラの身をその上に並べる。
4、バジルの葉と揚げたにんにくスライスを振り掛ける、レモン汁とオリーブオイル、塩コショウを混ぜたものを振り掛ける。
5、冷蔵庫でよく冷やして食べる。

ボラ南蛮漬け:
皮付きのボラの身に片栗粉をまぶして揚げる。
三杯酢+だしを入れたボウルで人参、玉ねぎ、キュウリなどの細切り野菜と混ぜ合わせて終了

ボラ生姜味噌汁
湯通ししたボラのアラで出しなしで味噌汁を作る。
適当に切ったねぎとちょっと多い目の生姜を入れる。

おまけ、ボラのヘソの塩コショウ炒め:
適当な大きさに切ってこれでもかとよく水洗いした「ボラのヘソ」を塩コショウで炒める。
砂肝のような食管と味で、確かにこれは珍味である。
とても魚を食べていると思えない。


20090619boracourse.jpg写真はフラッシュをたいてしまったので写りが悪いけど、ボラ料理+カミナリイカとサザエの刺身+カミナリイカの天ぷらである。
右上が「ボラ生姜味噌汁」、その左が「ボラのヘソの塩コショウ炒め」、白い皿の上の茶色い皿が「ボラカルパッチョ」、左下が「ボラ南蛮漬け」である。

2009年06月20日

●初海2009 その2 「エキセントリック青年ガザミ」 (ガザミ編、ガザミとサザエのワイン蒸し)

20090619gazami.jpg海底で魚を食べるガザミを通りすがりに発見する。人間で言えば大学生くらいのお年頃の、砂に潜りもせずに派手な模様の背中を丸出しで海底でお食事しているエキセントリック青年ガザミの目立つこと目立つこと。
カニごときにヤスを撃ち込むのは「海中プレデター見習い」である土偶の名が廃る上にカニミソもはみ出すやんか。ということで手づかみで捕獲した。
グローブ越しであるけど思いっきり挟まれてちょっと痛かった。十五センチほどのオスのガザミであった。

こいつはサザエスパゲティーにするために用意してあったサザエと一緒に白ワイン蒸しにする。
カニは生きたまま熱湯やらフライパンに投入すると生命の危険を感じて腕やら足やら鋏やらを分離させるので、フライパンに入れる前に目と目の間から金串を刺して生締め〆ておく。しかし〆る時ももたもたしているとエマージェンシー腕分離を発動させるので、生命の危険を感じる隙を与えずに、仕事人のようにザクッ(金串を刺す)、くいっ(金串を倒して脳神経を破壊)、クタッ、ピクピク(カニが絶命する)と手際良くする必要がある。

20090619gazamiwine.jpg ワイン蒸しとはいっても、このくらいのサイズのガザミなら殻を油で炒めておくと殻ごとバリバリいける位にもろくなるので、まず、フライパンに多い目のオリーブオイルを入れて暖め、カニが赤くなるまで炒める。
そしておもむろに白ワインをどぼどぼ投入。身、貝柱、肝の三つの部分に分解したサザエと一緒に煮るくらいの勢いで蓋をしてグツグツ。
で、白ワインを飲みつつ、二つに割ったカニを足のところを手でつかんで鰓だけ毟って殻ごとバリバリ、サザエをパクパク。
これはいいおつまみや…
海は梅酒より白ワインが合いますなと。わかったような事を言ってみる。

2009年06月19日

●初海2009 その1 「釣れないので突いてみた」 (カミナリイカ編、イカ肝と白ワインベースのカミナリイカスパゲティー山葵アオサ添え)

真夏と変わらない強烈な日差しの中、海に向かう。
食料は現地調達の予定であるけど、一応地元のスーパーで食料を買って氷を調達してゆく。
サザエは安くて3つ250円、平均的には一個100円くらいである。

今年の初海は誰もいない海と浜だった。去年に新調した二股ヤス先を手に海に入る。一面の砂浜、目の前を群れをなして通り過ぎるマアジの大群、海底で餌の取り合いで喧嘩しているネズミゴチ、海面と海底で乱反射して目を射る光の渦、何度感じても慣れない至福の感覚である。

20090619kaminariika.jpg 深度10mほどの沈み根を捜索中に二匹のコウイカ系のイカが根と砂の境界らへんで佇んでいるのを発見。
手前のイカは少し小さめでその向こう側にいる大き目のイカにははっきりと大きな「目」のような斑紋が確認できる。ということは、手前の小さいのがメスで向こう側の大きいのがオスのカミナリイカだろう。時期的にこの二匹は卵を産みに来たか産み終わったつがいにちがいない。
産卵しようとしているカップルを襲うのに一瞬ためらったものの、気にせず向こう側のオスめがけてダッシュ、こちらに気づいて逃げの体勢になったところにヤスを撃ち込んで難なく回収。この種のイカがスミイカと呼ばれるだけのことはあり、辺りが黒く染まるほどに大量の墨を吐いた。
甲長30センチほどの見事なカミナリイカであった。
先々週から釣りたくてしょうがなかったイカであるが、釣っても釣れないので突いてみた。というところである。

とりあえず現地で足を数本ぶった切って刺身にする。
魚は死んでから一日後以降が最高に美味しいけど、イカの刺身だけは採りたてが最高である。
このイカは正式な和名はカミナリイカであるけど、一般的にはモンゴウイカと呼ばれるイカであり、さすがにその刺身は美味しすぎる。

20090619ikaspa.jpgということで刺身だけでは芸がないので、当初はすでに材料を準備して作る予定であった「サザエスパゲティー」の予定を変更しイカ墨スパゲティーを作ろうと思っていたのだが、あるだけ吐いたせいか解体した時には墨袋は空だったのでとても残念。ということで、「イカ肝と白ワインベースのカミナリイカスパゲティー山葵アオサ添え」を作った。
以下作り方:

1・海水2、真水1くらいの割合の水でスパゲティーを茹でる。
2・その辺で取ってきたアオサをオリーブオイルで炒め、繊維が崩れてきたところに白ワインを注ぎペースト状にし、ピリッとするくらいに山葵を入れる。これは小皿に出してとって置く

3・にんにくスライスを揚げたオリーブオイルで潰したイカの肝を炒めて白ワインを注いでソースとし、塩コショウで味を調える。
4・ぶつ切りにしたイカのゲソやら何やらをちょっとだけ炒めて、茹で上がったスパゲティーを投入。
5・混ぜ合わせた後、2の山葵アオサを上に盛り付けて出来上がり。

イカ肝の濃厚な味とにんにくの風味と山葵アオサのピリピリ感がとても美味しい。これはどんなお店で食べるどんなスパゲティーよりも美味しいと思う。
太陽の日差しを浴びながら、視界に海しかない状態で、キンキンに冷やした白ワインを飲みながら、このスパゲティーを食べているのはこの世の楽園である。

2009年06月18日

●「ダイ・ハード3」「ダイ・ハード4.0」 / モラル的に13禁 / スッキリしてはいけない

amazon ASIN:B000PDZJDU amazon ASIN:B000VOCHR4  なんとなく観ていなかった「ダイ・ハード3」と「ダイ・ハード4.0」を一度に観た。
「ダイ・ハード3」はニューヨーク全土、「ダイ・ハード4.0」ではアメリカ全土と、シリーズ名というかメジャーバージョンアップする度に舞台が大きくなっている。

この映画を観る前に「ボーン・シリーズ」を観ていたのだが(感想はまた後で)、インテリジェンスな雰囲気のあるボーン・シリーズと比べて、このダイ・ハードシリーズの極端な勧善懲悪っぷりにちょっとだけ嫌悪感を覚えた。
相手が悪人であれば、堂々と対有色人種差別発言で罵倒し、躊躇無く殺しを楽しんで良いというのは如何なものだろう。中途半端なエロ映画や残虐映画よりも、この映画の方が子供の倫理的側面に悪影響を及ぼすのではないだろうか。

「映画だから」と割り切って観なければ正直辛い。この映画を観て「スッキリ」するメンタリティーは正直かなり怖いと思う。

この映画を、特に「ダイ・ハード4.0」の方を見て、一人のスーパーエンジニアに頼りきったシステム構築だとかシステム運用ってのはリスクでかすぎて当然やなぁとつくづく思った。
って、映画の話とは全く関係ないんやけどね。

2009年06月17日

●映画:「スパイダーマン3」 / 通過儀礼としてのダークサイドとの戦い

amazon ASIN:B0022F6LZ4 シリーズ通してサム・ライミが監督のスパイダーマン3を観た。
前作「スパイダーマン2」の最期でスパイダーマンでありながらもちゃんと個人として生きることを決意し、愛する彼女と結ばれた主人公であるが、スパイダーマンとしての名声も、学生としての成績も申し分ない生活を送っていた。
ノリノリでイケイケの主人公と引き換え、主人公の彼女は仕事も上手く行かず、主人公とすれ違うようになり、二人は険悪になってゆく。

自らの力が肥大して全能感が増すにつれ、自分のコントロール外にある自分にとって大事な部分と言うのが弱点となり、自分にとって耐え難い物となる。
自らのもつ力と、その部分への自分の無力さのギャップを埋めるため、大きな力を持つ自分はあらゆる人間の持つ制限を超越する権利を持つと考える事がダークサイドへ堕ちる動機となる。
ダークサイドとの戦いはヒーローの通るべき運命の一つである。
そして、この映画はスパイダーマンにとってのダークサイドとの戦いを描くものであり、そのことによってスパイダーマンが本当の意味でのヒーローになるという物語でもあった。

ルーク・スカイウォカー然りスパイダーマン然り、堕ちかけたダークサイドの誘惑から逃れる事はヒーローとなる条件であっても、ダース・ベイダーやニュー・ゴブリンのように、アンチ・ヒーローが堕ちたダークサイドから這い上がる事が結局は彼らの死を意味するというのはなかなかきついものがあるなぁと思った。

2009年06月16日

●『抱くことば』『ソフトウェア開発の名著を読む』 / 向上心は煩悩か

amazon ASIN:487257740X amazon ASIN:4774128511 グインサーガ127巻 を読んだ。
ダライ・ラマ14世の『抱くことば』 を読んだ。
技術SE新書、柴田芳樹の『ソフトウェア開発の名著を読む』 を読んだ。
寝る前読書として新潮文庫の『カラ兄』を読み始めた。
そして、なんとなく、今更ながらJAVAの勉強を始めた。

一日のうちで自分の自由になる時間と言うのはとても限られている。
雑多にあるやりたい事をその限られた時間に割り振るには、やりたい事の量は多すぎ、そのための時間は少なすぎる。
やりたい事、知りたい事、身につけたい事などいくらでもある。
これを向上心と捉えるか、煩悩と捉えるか、欲望でしかないとみなすかは紙一重であるような気がする。
下がりそうになる機首を上げるために腕が捥げそうになりながら必死で操縦桿を引く毎日であるが、もういっそ射出座席ごと飛び出したいような気もするのであった。

グインサーガ127巻 :読み進めるたびに、どんどん深まってゆく謎が解明される事は無いのだろうと思うととても残念である。スカールとヨナ、イシュトヴァーン父子、グインとケイロニア、ミロク教と中原、そしてリンダとパロの運命や如何にである。

ダライ・ラマ14世 『抱くことば』 :さまざまなインタビューからの抜粋されたダライ・ラマ14世のことばと写真から構成された本。
本屋さんで立ち読みしていて「私たちの苦しみの多くは、私たちが考えすぎることに由来します」という一文を読んで購入を決意した。

技術SE新書、柴田芳樹 『ソフトウェア開発の名著を読む』 :ソフトウェア開発に関する名著と呼ばれる書籍の紹介である。
これをよんでちゃんとした技術書を読み込む習慣をつけんといかんなぁ。と思った。

2009年06月13日

●脱腸カサゴ

また海へ行った。
暖かければ泳ぐつもりでいたけど、さすがに寒かったのでウェットスーツを着てまで泳ぐつもりはなく、海沿いを車でぶらぶら走るだけの道のりだった。
今まで殆ど行った事のなかった地域を走り回る。海沿いの道あり、獣道のような山岳ステージあり。
この地域で見覚えの無い海が未だにあるというのはとても新鮮だった。

途中で立ち寄った漁港で戯れにワームを投げたらカサゴが遊んでくれた。
20090613kasago.jpg
写真を見て始めて気づいたけど、なぜか脱腸気味…
さすがにこれだけ小さいの一匹じゃぁ食べるところなんか殆どないので逃がしたけど、よく考えれば逆にこれだけ小さいから、丸ごと唐揚げって手もあったなぁ。

2009年06月11日

●「カラ兄スイッチ」が入る / ミニチュア・リアルとしてのカラ兄

amazon ASIN:4102010106 ここしばらくずっと本を読んでなかったけど、以前に買って積読状態になっていた新潮文庫の原卓也訳『カラマーゾフの兄弟』を読みはじめた。
米川正夫訳は何度も、亀山郁夫訳はこの間一度読んだ事あるけど、原卓也訳は始めてである。

冒頭の文章を読んで、ドストエフスキーがその死によって未完のままこの本を終わらせる事によって語ることがなかった、アリョーシャに訪れるはずであった「悲劇的な謎の死」に思いを馳せる。彼にいったい何があったのだろう。
ゾシマ長老の死が決して美しいものではなかったように、アリョーシャの死も悲劇的で謎でしかなかったのだろうか。

思えば私は未完で終わるものに惹かれるような気がする。栗本薫の死によってグイン・サーガも未完で終わってしまった。結局「豹頭王の花嫁」を読む事が出来なかったのはとても残念である。物心ついたころからずっと読み続けてきたグイン・サーガの唐突な完結について思う事はいくらでもある。まだその事実を受け止め切れていないところがあるけど、また、いずれここで書いてみたい。

ふと頭の中で『カラ兄』が読みたくなる瞬間がある。「カラ兄スイッチ」としか言えないものが頭の中で入る瞬間がある。
或いはなにかしらの逃避なのかもしれない。しかし、それでも現実の世界に比べて『カラ兄』の世界が美しかったり素晴らしかったりするわけでは決してない。カラ兄の世界は現実同様、或いは現実以上に醜く混沌と矛盾した世界である。しかしそれでも『カラ兄』の中の美しい点は気の遠くなるほど美しいと思う。

結局カラ兄の素晴らしさはここにあるのだろう。醜く混沌で矛盾に満ちた世界から気の遠くなるほどに美しいものが生まれる実感。あるいは希望と言っても良いかもしれない。
カラ兄的世界からカラ兄的美が生まれるのなら、こんな世の中からでも、こんな世界からでも同じような事が起こるかもしれない。たぶん私はそう思いたいのだろう。

とは言っても、何かを求めて、いや、答えを求めて本を読むのは単純なスケベ根性である。
更に、頭の中で考えられて自分の言葉として述べられるさまざまな考え方や結論は、自分自身のあり方とは全く無関係である。
頭に中にある事は今私の中にあるだけの事で、私自身を表しているわけではない。
私自身が私自身として示し、人から私として捉えられるのは、生活の中、習慣の中で行動する私だけである。
とカラ兄を読もうとする自分自身に言い聞かせておこう。

2009年06月09日

●ハック四苦八苦

長らく漂流した後に艦船の乗組員となった人、そして自ら小船に乗って自らの手で大海へと漕ぎ出す事を決意した二人の人とそれなりに濃い話をした。
どのような道を歩んでもそれなりの苦しみはあるけど、それでも根源的な四苦を前にすると、日常の些細な悩みなど吹っ飛ぶし、八苦中の残りの四苦など取るに足りない問題のように感じられるものだ。

人の話を聞くと言うことは、すべからく人に自分の話をするという事でもある。
そして人に自分の話をすると言うこは、自分についてを自分自身に対して語って聞かせることでもある。
更に言えば、そうして人に自分を語ることで初めて見えてくる自分自身というものもまた多い。
久しく忘れていた自分自身の見方と自分自身への視点を思い出して、久しく粉々に崩れ去っていた「無根拠な自信」が「ちょっとだけ根拠のあるちょっとだけの自信」に再構築された。ような気がした。

コンピューター技術者の友オライリーでは「何とかhack」のHacksシリーズはぼんぼん出るし、数年前には「Lifehack」なる言葉も流行った。
何処と無く宗教的な匂いの漂うハッカー文化も、そろそろ既成宗教や既存哲学とは別のアプローチで「ハック四苦八苦」に着手する時代が来たのではないだろうか。

2009年06月08日

●『聖女ヒルデガルトの生涯』 ゴットフリート修道士

amazon ASIN:4752101068 この本はヒルデガルドと同時代のゴットフリート修道士が書いたヒルデガルドの伝記的な『生涯』と呼ばれる本の翻訳であるけど、その『生涯』だけでは文章としての量はそんなに多くないので、それに加える形で訳者がヒルデガルドについて書いた文章と合わる形で構成されている。
1147年にヒルデガルドの幻視が文章として表現された『道を知れ』が教皇のお墨付きを受けて公表を許可されたことにより、一躍有名人となったヒルデガルド自身に興味が向いたのは当然の流れであろうし、そんな要求とそれに答える使命感から書かれた本であろうと推測される。

発行は1998年であるけど、オリジナルはヒルデガルドがまだ生きていた1173年から執筆されたものであり、後の人々がさまざまな資料から研究、再構築したヒルデガルド像ではなく、当時のヒルデガルドを直に知っている人たちが書いているというところが現代にとってのこの本のポイントであろう。
この『生涯』がヒルデガルドと同時代に書かれたものだということで、ヒルデガルド研究の一次資料的な意味合いを持つ書物であろうけど、『生涯』自体を読み物として扱えば、先に読んだ『ビンゲンのヒルデガルト―中世女性神秘家の生涯と思想』の方が面白く読めると思う。

ヒルデガルドが幻視を見て、彼女がそれを世界に語らないで自分の中で留めていると神が彼女に痛みを与えて世に公表するように要求した。というのはヒルデガルドとその幻視について語る上での重要な要素のひとつであろうけど、この『生涯』はその「痛み」がどれだけ強烈でつらいもので、どれだけ長期にわたってヒルデガルドの全生涯にわたって影響を与え続けたかについてやたらと書かれていたような印象を受けた。
この本が書かれたヒルデガルドの時代の神は、新約聖書的な優しい父ではない旧約聖書的な怖い神であり、いわゆる敬虔だけでない畏怖も感覚も強い「ヌミノーゼ」な神であったのがわかるような気がする。

ヒルデガルドに関する本を二冊読んだのでもう予備知識はありということで、次はヒルデガルド自身の手による『道を知れ』を読もう。