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2009年02月23日

●映画:「まぼろしの市街戦」 / 琴線直撃映画 / 自己実現の悲しさ

amazon ASIN:B0000CD7LK フィリップ・ド・ブロカなる監督のフランス映画、「まぼろしの市街戦」 (1967/仏=伊)を観た。

第一次世界大戦末期、ある北フランスの小さな町でドイツ軍が町のどこかに時限爆弾を仕掛けて撤退した。
スパイからその情報を得たイギリス軍は一兵卒の男に斥候として爆弾無効化を命じる。
男が町に入るとすでに、住人たちは全員逃げ出していたが、精神病院に入院していた患者たちが町の中で優雅に楽しく暮らしていた。
患者たちにその町の王に祭り上げられた男は爆弾を探しながらもその町での生活を満喫し始める。
という感じである。

原題は「Le Roi de coeur」英題の「King of Hearts」の通り、主人公が王と見なされる切欠となったトランプの「ハートのキング」である。
邦題の「まぼろしの市街戦」は現代とまったく違うけど、なかなかうまい事つけたなぁとおもう。

誰もいなくなった町で、患者たちがそれぞれが勝手に貴族や将軍や司祭になったり、親や子になったり、娼館を経営したりするのだが、自分のなりたい人間になり、着飾って町を練り歩き、思う存分やりたいことをする彼らの繰り広げる生活がとても素晴らしい。
衣装も美術もとてもいい感じであるし、何よりもコメディータッチであるところがたまらん。

娼館を営む女主人とその情夫の将軍がベッドに並んでいう台詞「男の子が生まれたら将軍に、女の子が生まれたら娼婦にしましょう!」 がとても素晴らしかった。
このように何の迷いもなく、自分のなりたいものになり、自分の生きたいように生き、自分の一番の価値を正義とし、子供たちにもそれを授けるできることの幸せは素晴らしい。

爆弾が仕掛けられたがゆえに無人となりった町で、無人になったがゆえに町に出て思い思いに暮らすことのできる患者たちは、ただ狂っているのではなく、自分たちの立場や状況をはっきりわきまえている。
外の世界が広大であることを知りながらも、閉じた狭い世界で、時間的にも空間的にも限られた範囲で満足し、閉じた世界を至上のものとする彼らの生き様は悲しくも脆く儚い美しさがあった。

この映画の中で、登場人物たちは限定的ではありながらも、ある意味で自己実現を完了している。
彼ら、自己実現を完了し目的地に到達した人たちは、これから先に目指す高みや彼方もない。
彼らにとっての未来はそれを失うことしかないわけである。
本人たちは幸せそうなのだが、それをはたから見ているとえもいわれぬ悲しみがある。
この映画に漂う雰囲気はそういった所から来ているように思う。なんか心の中の変な琴線をダイレクトに直撃するような、なんとも素晴らしいおとぎ話の様な映画であった。この映画大好きである。