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2008年12月18日

●みんなみんな生きているんだ友達なんだ

自分のことを自虐的に「おっさん」と呼ぶおっさんってのは見ていて気分の良いものではない。
また、自分を「おっさん」とは思いたくなくないためにやたらと「おっさん」でないように振る舞うるおっさんも見ていて気分の良いものではない。
だからといって、どう見ても「おっさん」としか言いようのないおっさんを見ていることが気分が良いかと言えばそうでもない。
「おっさん」であることを受け入れつつも「おっさん」であることに甘んじない。といったことが「おっさん」であることの理想であろう。
ただ「おっさん」であることは状況にすぎないが、主体的に「おっさん」であるということはなかなかに難しいのである。

しかし、ここで前の文の「おっさん」を「人間」と入れ替えてしまうとどうだろう?

自分のことを自虐的に「人間」と呼ぶ人間ってのは見ていて気分の良いものではない。
また、自分を「人間」とは思いたくなくないためにやたらと「人間」でないように振る舞うる人間も見ていて気分の良いものではない。
だからといって、どう見ても「人間」としか言いようのない人間を見ていることが気分が良いかと言えばそうでもない。
「人間」であることを受け入れつつも「人間」であることに甘んじない。といったことが「人間」であることの理想であろう。
ただ「人間」であることは状況にすぎないが、主体的に「人間」であるということはなかなかに難しいのである。

これはこれでちゃんとした文になっていると同時に、「おっさん」のありかた = 「人間」のありかた
なる何ともイデア論的な興味深い結論が導き出されるのである。
「おっさん」であること、または「おっさん」になることは、直接的にも間接的にも、いろいろな意味で「人間」そのものになることなのである。

てなことを適当に口から出任せ書いてみたが、こういったよくわかったような、よくわからんようなことを言って、人を煙に巻いてプチ詐欺をはたらくのもオッサンの特徴なのでゆめゆめお気をつけ遊ばせ。

しかし、オッサンであることを受け入れるというのは本当に難しいし、同時に人間であることを受け入れるのも本当に難しい。

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コメント

おもしろいぞ!
よいエッセイであった、
とお褒めの言葉をつかわす。^^

ぬはーっ!
ありがたき幸せにござりまする。
とお褒めに預かりました(^^)

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