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2008年06月30日

●少年と自転車/日本の自転車泥棒

amazon ASIN:B0013E14SO 家に帰って片付けの続きをしながら「日本の自転車泥棒」を観た。

ぼそぼそと聴き取りにくい冒頭のナレーションで萎えたたところに、いきなり脈絡も無く雪の中でのたうち回るオッサンにドン引き。

主人公のオッサンは何かに取り憑かれたように立ち上がってそのへんにあった自転車を盗み、叫びながら走り出す。

自転車が壊れるごとに新しく盗んで乗り換えながら、無意味に叫び続け、人とのつながりを拒否し続け、ひたすら利己的に走り続けた7日間の話ということになる。

八年前に岡山の高校生がいじめを受けていた後輩に復讐すべく、殺すつもりで金属バットで殴って怪我を負わせ、「母に殺人者の自分を見せて心配をかけたくなかったから」と言う事で今度は母親を殴って殺害し、その後自転車に乗って逃亡して、16日後に1000キロ離れた秋田で逮捕されたと言う岡山金属バット母親殺害事件」なる事件があった。
少年の逃亡中の16日の事を思うと何とも胸キュンな事件で印象深くてずっと心に残っており、この映画はこの事件のようなテイストかと思っていたのやけど全然違った。

感情移入どころか理解の手がかりすらない。一体これはなんなんや?
ネット上では素晴らしい風景のロードムービーとか書いてあったけど、特に風景が綺麗だとは思わなかった。
若い頃の挫折とか敗北とか苦難をちゃんと乗り切っていないオッサンは年とってから爆発すると言う事でオケ?

で、映画は置いておいていてこの事件を調べてみた。

TOPIC No.2-96 岡山・高3バット殴打事件 @ Yellow Hiro の 独り言

岡山金属バット母親殺害事件 @ wikipedia

2008年06月29日

●部屋を片付けた

夕方から夜中にかけて部屋の片付け。部屋の掃除ではないところがミソである。
片付けるだけでほぼ四分の一日を費やすという事から普段の私の部屋の散らかりようが伺えよう。
三十も半ばになり、それなりに人間的な成長が見込まれようが、「部屋の片付け」から見ても一向に成長していない自分に気付く瞬間でもある。
部屋の片付けをしていると、目に付いた雑誌やら本やらをついつい読んでしまって一向に進まないことすら昔から全く変わらない。

と言う事で、片付けながらついつい拾い読みしたリスト。

雑誌:『Tokyo graffiti』
漫画:『ナマケモノが見てた』
ある意味詩集:『ギルガメシュ叙事詩』
文庫:『グインサーガ ハンドブック』
IT書:『Solaris上級システム管理』
カタログ:コセキサイクルパーツカタログ
小説:『重力の虹』

って脈絡も何も無いのは良いとして、あれだけつまらんくって眠たくって読めなかった『重力の虹』が片付け中だとサクサク読めるのはどう言う事だ??

amazon ASIN:4845430002 amazon ASIN:4086181967 amazon ASIN:4000027522 amazon ASIN:4150306176 amazon ASIN:4844312154 amazon ASIN:433603057X

2008年06月28日

●映画:「狼/男たちの挽歌・最終章」/性欲レス理想像様式美

amazon ASIN:B00013F5G0 ジョン・ウー「狼/男たちの挽歌・最終章 」(1989/香港)を観た。邦題に「男たちの挽歌」が入っているけど、そのシリーズとは全く関係ない別物である。しかしながらこの映画をジョン・ウーの香港ノワールで一番だと言う人も多いらしい。
もうタイトルだけで恥ずかしいけど、内容もそれに劣らず恥ずかしい。ツイ・ハーク、ジョン・ウー、チョウ・ユンファとくれば内容はもう観なくてもわかるようなもんである。

一度は引退した殺し屋が最後の仕事の時に巻き添えにして目を怪我させてしまった女性の為にもう一度仕事を請け負ったものの陰謀に巻き込まれ、そこに地元の警察も絡んできてなんたらかんたらという感じのストーリー。
殺し屋だのヤクザだのマフィアだの警察だの、仁義だの友情だの愛だのともう暑苦しい上に恥ずかしい。冒頭から最後までハンドガン両手持ちで撃ちまくりで血しぶき飛びまくりである。

ティ・ロンやディーン・セキのいる「男たちの挽歌」と比べて彼らのような脇役の渋みが少ないけどその分チョウ・ユンファが目立ってる。そして全体的に「男たちの挽歌」よりも妙な濃さがある。

この映画唯一のロマンスの当人であるチョウ・ユンファが性欲など微塵も見せずにあまりにもプラトニックなので逆に余計に暑苦しすぎる。
主役級の弾の当たらなさと弾の無くならなさと、ワンマグくらい撃ちこまれながら踊るように倒れるあまりに射撃の下手なザコ敵など、もう完全な様式美である。

なんつーか無駄に強くて熱くて冷静で情に深い愛に満ちた性欲レスなチョウ・ユンファってのは、ジョン・ウーだかツイ・ハークだかにとって、またこの映画を観て熱くなるような人間のある種の男の理想像なんやろうねぇ。
とはいっても「男達の挽歌」と比べるとラストがんともかんともなので観終わった後の爽快感なんか微塵も無いのが良いような悪いような。

しかし、自分自身はどっちかと言うと出てきてすぐボコボコに撃たれるザコに同情してしまうなぁ…

2008年06月27日

●映画:「ノスフェラトゥ」/ ヨーロッパ的に不気味で綺麗

amazon ASIN:B00005NO7G ずっと観たかったヴェルナー・ヘルツォーク監督、クラウス・キンスキー出演の「ノスフェラトゥ」(1978/独=仏)をやっとの事でレンタル屋さんでみつけた。
私の大好きなヘルツオークとキンスキーのコンビだが、1972年の「アギーレ・神の怒り」の次、1982年の「フィツカラルド」の前の作品ということになる。

「ノスフェラトゥ」とは吸血鬼の総称を指すルーマニア語源の言葉で、この映画は1922年に製作されたドイツ映画の「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイクということらしい。

ストーリはルーマニアのトランシルヴァニアのドラキュラ伯爵から家を買いたいという注文があったため、契約書を携えた不動産業の男は付近の人も恐れて近づかないドラキュラ伯爵の住む古城に向かう。
不気味な風貌のドラキュラ伯爵は、男のロケットに入っている妻の写真を見て一目惚れし、男を城に閉じ込めたまま男の妻の元へと向かう。という感じである。

いわゆる「吸血鬼ドラキュラ」の話やけど、われわれが一般的に想像するドラキュラである蝙蝠に変身する犬歯が尖ったフェロモンむんむんのオールバックの色男って感じとは程遠い。
この「吸血鬼ノスフェラトゥ」はパッケージのように長く尖った前歯と爪を持ち髪の毛一本もないかなり醜い容貌で、蝙蝠と言うよりはネズミを象徴しており、ネズミと関連付けられるペストを運ぶとされる厄病と邪悪の権化のような扱いである。

醜く不気味なドラキュラ伯爵の吸血鬼ノスフェラトゥをクラウス・キンスキーが演じているのがこの映画の一番の見所であろう。手を怪我した男の血を見ただけで我を忘れて傷口にむしゃぶりついて血を舐める様などはなんともたまらん。
キンスキーだけでなく、妙に甲高い声で引き笑いをする彼の下僕や、目つきの怪しいヒロインなども中々良い感じに不気味さを醸し出しているし、「アギーレ・神の怒り」と同じポポル・ヴーが音楽を担当していたけど、この映画でも同じような音楽ながら、とても映画の雰囲気に合っていて良かった。

ネット上の批評でヘルツォークはアメリカ的なところが一切無い、純ヨーロッパな映画監督だということが書いている人がいて、なるほどこの作品の前のカスパー・ハウザーなど扱う題材からしてそうだし、この映画を観てそこのところがとても納得できた。

この映画は映像もいかにもヘルツォークという感じでとても綺麗だったし、その綺麗さはなんとなく不健康な時間が淀んだ歴史の重みを感じるようなヨーロッパ的なところがある。
特に後半のペストで町のほとんどが死に絶えた中、ネズミに溢れた町の広場で饗宴を開いて着飾って踊り狂う、自分の死を確信した人々の映像がなんとも退廃的で耽美的で綺麗であった。確かにこういうのは妙に前向きなアメリカ的感覚からは程遠いだろう。

ヨーロッパにとってペストというのは厄病で災難と不幸と邪悪以外のなにものでもなく、その象徴であるような生まれながらの邪悪の系統である吸血鬼ノスフェラトゥの不気味さがとてもよく出ていたように思う。
筏、大河、小動物の群れ、などのヘルツォーク的な語彙満載のなんとも不気味でかつ綺麗な映画であった。

2008年06月26日

●近所で見かけた黄色いもの。

先日黄色いペンケースを買ってその写真をアップしてから、「黄色」なるカテゴリを作ろうかと思った。
さすがにそれはやりすぎやと思ったけど、「近所で見かけた黄色いもの」の写真は面白そうなのでアップしてみる。 himawari20080626.jpg huta20080626.jpg

2008年06月25日

●我が家のオーディオ

自己紹介のページに書いた、「ちょっとした自慢」の「結構立派なピュアーオーディオなシステム」を紹介して欲しいと言う方がいらっしゃいましたので喜んで紹介してみる。

オーディオマニアから見れば「わざわざ紹介するほどのもんか?」オーディオに全く興味の無い人から見れば「ハァ?」と言う感じの、定価で言えば50万円コースのシステムである。
とは言っても全てを中古屋さんで安く調達したので、実質数万円しかかかっていない。ちょっとした出会いあり、なかなかの苦労ありで集めたので私的には中々思い入れのある品々である。

どれも10万円くらいの、その世界ではいわゆる「ミドルクラス」なる機器やけど、バブル期に作られたものなので良い部品を使っており「重いオーディオ機器は良いオーディオ機器だ。」というオーディオ界の定理からすれば、対費用効果は抜群であるだろう。音の良し悪しは別として、今から見ればなればなかなかのコストをかけて生産されたものである事は間違いない。

趣味の世界であればどんな世界でもそうやろうけど、特にオーディオマニアの世界は宗教論争と似非科学とプラシーボな議論の世界であるように思う。「完璧な再生装置を使えば、録音スタジオの壁の色までわかる」なる言葉はちょっと常人にはついていけないわけで、私はオーディオに関してはそんな議論を蚊帳の外から「ふーん(w」と眺めていた感じのスタンスであった。
常人から見れば私の所有しているシステムは値段からしてありえんように見えるけど、この世界ではまだまだヒヨッコのレベルであることを特記しておこう。


PL-50L2.jpg
A-701D.jpg
337esd.jpg
ds66z.jpg

レコードプレイヤー:Pioneer PL-50LⅡ1981年 14.6kg
カートリッジ:SHURE M95ED
シェル:audio technica AT-LS13

アンプ:ONKYO Integra A-701D 1988年?17kg


MP3再生用PC:Linuxで起動してrshでmp3プレイヤーを起動して手元のPCのXサーバーから操作
CDプレイヤー:SONY CDP-337ESD 1987年 12.8kg
MD/CDプレイヤー:Marantz CM635 1998年頃 5.2kg


スピーカー(大):DIATONE DS-66Z 1990年 20kgX2

スピーカー(小):ONKYO D-200II 1989年 Liverpool 6.8kg

スピーカーケーブルはCANARE 4S8
RCAケーブルはCANARE GS-6 と F-10で自作

2008年06月24日

●憧れのシマニョーロなホイール

オクで買ったカンパのオメガとラージハブのデュラで偽ピスト用のフロントホイールを組んだ。シマノのハブとカンパのリムなので一応シマニョーロだ。
ロード用のスモールハブに6本組みで使われていた4mmほど長いスポークを流用したけど特に問題なく、8本組みの4クロスは初めてやったけど特にややこしい事も無かった。結構固めのギチギチのセッティングにしてみたのだがどうだろう。

duraomega.jpg
久しぶりやったけどホイール組みはとても楽しいなぁ。それになにより遥か昔に憧れの高嶺の花のだったカンパのオメガで組んだのはとても嬉しい。

固定ギアをフリーに戻し、ロードのタイヤを前後とも張り替えて後輪のスポークの調整をしおわったらもう日付の変わりそうな時間であった…

2008年06月23日

●『変身ほか (カフカ小説全集4)』フランツ・カフカ/池内紀 訳/手稿版

amazon ASIN:4560047049 昔からカフカといえば、難解な実存主義的な不条理文学であるという扱いで、意味が解らず小難しい文学者というイメージが一般的であるような気がする。
そういったカフカの暗く迷宮的なイメージの形成には、カフカを売り込もうとしてカフカの遺稿を整理して編集して発表した友人のマックス・ブロートの意図だけではなく、第二次世界大戦後にブームになるほどにもてはやされたきっかけとなった、実存主義者であるカミュやサルトルの影響が大きいだろう。

この間にミヒャエル・ハネケが映画化した「城」の事を調べるうちに、マックス・ブロートの手の入ったテキストでなく、そういった今までの影響を払拭してカフカのイメージを覆すとも言われる、カフカが書いたオリジナルの原稿から綿密に構成された「手稿版」と呼ばれる全集の存在と、そこから直接翻訳されたという日本語の全集も出ていることを知った。

私はカフカの小説を15年ほど前の若かりしころに新潮文庫で『変身』と『城』を、岩波文庫で『審判』と『流刑地にて』などの短編を、角川文庫で『アメリカ』を読んでいるけど、カフカ好きと任じて憚らない私なので、今までの暗くて迷宮的なカフカも好きやけど、今までとは一変したカフカも読んでみたい。ということで読んだ。

読んだのは「手稿版」から直接日本語に翻訳された、白水社から出版されている六巻構成の池内 紀訳の『カフカ小説全集』の中の4冊目、『変身ほか (カフカ小説全集)』である。
私の大好きな『流刑地にて』と『断食芸人』が入っていてかなりお得感があったので他の巻でなくこれにした。
巻の構成としては、カフカの小説としてメジャーな『変身』を筆頭とした、彼の生前に刊行されたものと刊行されるはずだった『断食芸人』などの短編を収録してあるものである。

「手稿版」でどれだけカフカのイメージが変わったのか結構楽しみにして読んだけど、良く考えればこの本のほとんど全てはカフカの生前に刊行されたものであるから、マックス・ブロートの手が入りようがないではないか。と気づいた…

カフカが生前に発表したものはこの本の中にある短編だけで、彼の代表作として名高い『城』『審判』『失踪者(アメリカ)』などはカフカが自分の死後に焼き捨てるように遺言していた遺稿を、マックス・ブロートが再編して世に出したからこそ日の目を見たわけである。カフカが生前に発表していたものだけでは彼はただの草小説家として歴史の中に消えていたに違いない。
マックス・ブロートの行動はカフカの遺言を守らなかったという意味では非難に値するかもしれないけど、結果的に20世紀を代表する文学者の一人を闇に埋もれさせなかったという意味で社会的な功績は大きいだろう。
このおかげでわれわれがカフカの著作を読めるわけであるけど、カフカが残った原稿を焼き捨てるよう指定していた事実に対しては、恐らくそれらの原稿が未完であるゆえだと思うけど、「何もそこまでしなくても」という違和感をずっと抱いていた。

この本に載っているカフカが生前に出版した『田舎医者』なる本の中の『家父の気がかり』という極短い章で、、何をしているのか、名前の意味も、死ぬのかどうかすら解らない、星型の生物のような、まったく捉えどころのない「オドラデク」というものの存在に対して不安を抱く様が描かれるのやけど、この抱かれる不安に対してもこの「オドラデク」が具合的に害のある存在でもないのに何がそんな不安なのかと違和感を感じた。
そしてその違和感が先に書いたカフカの遺言に対して抱いたものに似ているのに気づくに至り、カフカが「オドラデク」に対して抱く見方は、彼自身の自分の未完成の原稿に対する見方に似ているのではないかと思った。
『家父の気がかり』の中での「誰の害になるわけでもなさそうだが、しかし、自分が死んだあともあいつが生きていると思うと、胸をしめつけられるここちがする。」という文章はその事をとてもよく表しているように思える。
まったく捉えどころが無く、存在していることは確実でも存在の本質的なところは何もわからない。という風に自分の書いた未完成の原稿を見ていたのだとしたら、自分自身に対してもそのような見方をしていても何の不思議も無いだろう。

カフカの小説に漂っている不安と言うのは、何らかの存在を前提した上で、その存在の意味や意義が見つからないととったような、いわば実存主義的な根本的な不安に根ざしているように思う。
手稿版のカフカはどう違うのか。という当初のコンセプトでは読めなかったけど、この年になって読むカフカは中々にヘビーな物語であった。若いころには「ふーん」で見過ごしていたことも、この年になるとかなり目に付くことも多くなっているようで、『変身』などは主人公自身の変身に加え、家族の変身度合いも中々にきついものがある。いやこれはきついわ。

ってここまで書いて、私ってば結局従来のようにカフカと実存主義っぽいことを絡めてるやん…
新カフカはやっぱり別の本読まないとあかんかなぁ。と思ったけど、この歳になるとひたすら不毛でかつ未完の迷宮的物語である『城』とかを読む気合はあまり無いなぁ…

2008年06月22日

●逃げない自転車乗りは良く訓練された自転車乗りだ。

額を割って血痕がこびり付いていた自転車を洗った。思いのほか大量の血がついていて驚く。ハンドルを極短のフラットバーから最初に使っていたトラック用のドロップに戻した。これで見た目はまともな自転車になった。鉄むき出しのハンドルに少しバーテープを巻いてみた。
ポテトチップのように歪んだ前輪を見て何ともいたたまれない気分になる。怪我をしたのは私の慢心のおかげである。自転車は悪くない。と改めて思う。

額を割って一週間が過ぎ、一応傷口は閉じた。頭を洗おうが顔を洗おうが無問題である。
頭を洗い、顔を洗う事が出来るのがどれだけ有難いか。などと思い、「またか。」と自分自身にうんざりする。
これまでの人生で、何かを無くしたおかげでそのものの有り難味が分かると言う事をどれほど繰り返してきただろう。無くした当初はそう思っても結局何不自由のない生活に戻るとそんな事は綺麗さっぱり忘れてしまう。そして同じ事を繰り返す。このサイクルで私が一歩でも前に進めたのか?

こういった繰り返しで学ぶべき事は一つ。頭で考えて口に出す事と自分がそうである事とは全く別の問題である。と言う事である。
経験的に言って、頭だけで悟ったつもりでそれらしい事を述べたとしても殆ど意味は無い。頭で理解しているが故に余計に性質が悪いくらいだ。
考える事と口にする事がその人を表わすのではなく、その人が実際どう行動するかがその人の本質であるように思う。

逆に言えば、克服しがたい自身の弱さは行動の上で現象しなければ特に問題とならないとも言える。
良い歳をして、口ばかりで行動が伴わなずに自分の弱さを振りかざず露出趣味の人間は余りにも醜悪である。
良い加減に、口ではなく、行動で自分自身を表現するような人間になっても良い歳だ。と自分自身に言い聞かせた日曜日であった。

2008年06月21日

●映画:日本のいちばん長い日/スピード感あるドキュメンタリー

amazon ASIN:B0007W7GPS 先日の「血と砂」とセットで借りてきた岡本喜八の日本のいちばん長い日 (1967/日)を観た。
現場の前線の下士官と兵卒を描いた「血と砂」とはうって変わって、こちらは当時の日本の最高権力者達の物語であり、ポツダム宣言を受け入れて戦争の終結を決定した8月14日正午から、翌15日の玉音放送までの24時間の、政府首脳にとっての激動の時間を追ったドキュメンタリーである。
連合国からのポツダム宣言受託の勧告に対する黙殺を拒絶と捉えられ、広島、長崎に原子爆弾を投下されるにいたり、首脳陣は戦争を無条件降伏によって終結させる事を決定する。しかし日本国にとって史上初めての敗戦となった太平洋戦争の終戦決定の手続きは煩雑を極める事となる。
北海道をソ連に取られない内になるべく早く終戦を向かえようと尽力する政府首脳陣と、ポツダム宣言受諾を屈辱として戦争継続の為に「宮城事件」となったクーデターを画策する青年将校たちと、その板ばさみに苦しむ陸軍大臣の三船敏郎の三つの視点がこの映画の一応の主軸であろうか。

とは言っても、この映画は東宝の35周年記念作品で、後の東宝名物「8,15シリーズ」と呼ばれる事になる第1弾ということで気合入りまくりで、主役級の俳優が大量に出演して、主役から端役に至るまで一部の隙も無い。
降伏を不服として志願者や市民の小隊を組織して総理大臣を襲撃する横浜警備隊長の天本英世のぶっ飛んだ演技と、房総沖に迫った敵艦隊を迎撃すべく終戦が間近である事を知りながらも特攻隊を出撃させる何とも言えない表情の児玉基地司令の伊藤雄之助の両極端の演技が端役の中で一番印象的だった。

本物の皇居の門前で果てる黒沢年男を筆頭とする青年将校達のあまりに暑苦しい演技や、三船敏郎のなかなかにゾクゾクするほどの切腹シーンなど見所はたくさんあるけど、なるほどこうやって戦争を終わらせたんやなぁ。という感慨を観ていて受けた。
一個の思想を妄信して取り付かれたように周りを巻き込みながら破滅への道を歩む青年将校たちの言動が、三島由紀夫ちっくに純粋であるからがゆえであるところがとても怖かった。

全然岡本喜八っぽくない重厚な映画やけど、こんな映画も撮れるんやと、岡本喜八の懐の深さにかなり感服した。そしてそれがえにエンドロールで流れる戦死者や被災者や経済的損失の数字が重みを持ってくるのだろう。

二時間半超という結構長めの映画やけど、ナレーションとテロップというドキュメンタリーな手法にやたらと多用されるカットバックがあいまって、とてもスピード感がある情報量の多いドキュメンタリーという不思議な雰囲気になっていた、男しか出てこない、余りにも暑苦しい映画であった。

2008年06月20日

●映画:岡本喜八「血と砂」/ジャズ魂

amazon ASIN:B000BVKFTE 「日本誕生」を観た後、立て続けに三船敏郎目当てで、岡本喜八の「血と砂」(1965/日)を観た。同名のスペインの話の映画もあるようやけど、それとは関係ない。

設定は前に見た「独立愚連隊」と良く似ており、中国大陸の北支戦線で敵に奪われた最前線の砦を、三船敏郎演じる人情味溢れる歴戦の勇者である曹長が率いる、武器を使った事の無い音楽学校を出たばかりの少年兵の13人、気の荒い板前の7年兵士、人を殺すのが嫌な埋葬ばかりしている葬儀屋、平和主義者の万年営倉の男で構成されたアクの強すぎる部隊が奪還するべく出発する。と言う感じである。

少年兵達が行進しながら演奏する「聖者の行進」のシーンから映画が始まり、馬に乗った三船敏郎が現れて合流する。ゲリラと一悶着あった後に川を渡り、途中で道連れになった団令子がヴィブラフォンをBGMに水に濡れて裾をからげてスローモーションで走るシーン、彼女に欲情した少年たちの吹く哀しげな口笛、その口笛がBGMになり小隊は行進を続ける。これは完璧や…この映画が面白くない訳が無い。と言う確信である。

主人公は三船敏郎と、名を持たずトランペット、チューバなど楽器名で呼ばれる少年兵たちやけど、曹長にヤキバ砦攻略を命じる仲代達矢、曹長を前線まで追い、少年兵達の戦う理由の元となる団令子演じる慰安婦、何とも言えない味を醸し出す葬儀屋、その他の役者達のキャラクターがとても生き生きと魅力的であった。

この映画と先の独立愚連隊で描かれる楽しそうに朗らかに働く戦場稼ぎとしての慰安婦と女郎部屋となっている慰安所の設定から、この映画が地上波やメージャーな媒体で表に出てくる事は無いだろう。
しかしこの慰安婦の設定同様、日本軍と日本兵、中国軍と中国兵の設定も無茶苦茶である。音楽隊だけで構成された攻撃隊や、楽器を背負って敵に奪われた砦に攻め込む様、言いだしたらきりが無いほどの荒唐無稽な物語である。
軍隊やら戦争なる制度や状況を笑い飛ばすと同時に慰安婦と慰安所なる状況と制度をもまた笑い飛ばす意気を見たような気がする。
これはあまりにも微妙な問題なので、完全に荒唐無稽なパロディーとして笑いにしてしまうしかないのだろう。もしくは最初から何も気にしていないかだ。

最初はエンタメ系娯楽映画の勢いで進みながらだんだんと雲行きが怪しくなってくるあたりがなんとも素晴らしい。娯楽要素満載で全編笑いと岡本喜八節の台詞とカットで回しながら、とてつもなく計算し尽くされているのが良くわかる。
少年一般を連想させる、名を持たぬ役割の名で呼ばれる少年兵達が、天皇ではなく慰安婦の為に砦を守る事を決意し、自らの武器である楽器でひたすら塹壕で戦う様の壮絶さに、強烈な反戦意識を見る事が出来る。
でも、そういったただの反戦映画として見るだけではこの映画は勿体無い。「娯楽映画の皮を被った反戦映画」と見せかけた娯楽映画として見るのがこの映画の素晴らしさをちゃんと感じるポイントではないだろうか。

突きぬけて明るいジャズとその根底に流れる哀しみを少年兵達の演奏する「聖者の行進」は見事に表わしていたように思う。ちょっと涙腺弱めのジャズ好きなら号泣であろう。ジャズとかブルースの真髄とはこういった感じであろうか?

どちらかと言うとマイナーな映画なのやろうけど、あらゆる要素の詰まった、一点の非の打ち所も無い、とても素晴らしい名作であると言い切りたい。

2008年06月19日

●映画:日本誕生/クソゲー/「ヤマタノオロチ VS 三船敏郎」

amazon ASIN:B000JJR9DS この日に仕事を休んで額の傷の抜糸を済ませた。家に帰って頭を洗い、お医者さんの言ったように額の傷を石鹸で洗ってさっぱりした後、まったりこの映画を観た。1959年の日本映画、「日本誕生」である。
以前から三船敏郎が出ていると理由で観たくてしょうがなかったのだが、なんとなくパッケージから微妙な香ばしい匂いが漂っていて二の足を踏んでいたのやけど思い切って観た。

ヤマトタケルが自分の国から西征と東征に向かう時代の話を映画での現代の時間軸にして、ヤマトタケルの話をメインにしながら、語り部の老婆や登場人物が折に触れて、世界創造からイザナミとイザナギ、アマテラスとスサノオ、岩戸隠れ、スサノオとヤマタノオロチまでの日本神話を語ると言う構成である。

東宝映画1000本目の記念作品として作られた映画でかなり気合が入っており、当時の興行成績も抜群で、二位の「隠し砦の三悪人」の二倍以上の興行収入を記録したらしい。
しかし、今となればこの映画は映画として余りにも微妙である。ネット上では生暖かくこき下ろされている意見がとても多い。
とは言ってもこの映画の中途半端さやチープさは、多くの神話の物語としての荒唐無稽さとチープさ、そしてそれらの映像化の難しさであるように思う。逆にこの題材でこのくらいの見所を作り出してちゃんと映画に出来た事こそ出演者と製作者の素晴らしさであろうと私は思う。そう思うけど、決して傑作であるとは言いにくい…

スサノオとヤマトタケルの二役を演じた三船敏郎、飲めや歌えやの悪代官のような征西に向かった先の大ボスを演じた志村喬、天岩戸に引き篭もる「私ずるいんです」っぷりを遺憾なく発揮したアマテラスを演じる原節子、うわっ、きっついなぁと思わせる、八百万の神を爆笑させるに足る裸踊りを舞ったアメノウズメを演じる乙羽信子、その他にも、エノケン、左卜全、などなど、出演者は錚々たるメンバーであり、特撮は円谷英二が担当している。

設定とキャラクターと過度の資金投入で何とかなるだろうと押し通そうとするこの微妙な勢いは何かに似ている、そう、バブル期に量産された「クソゲー」(映画やけど…)である。全体として見れば中途半端やけど、妙なピンポイントでやたらと笑える部分が多いというところもそっくりだ。
日本神話の映画をクソゲー扱いすると特定の団体から叩かれそうやけど、私は良い意味で愛情を込めてそういっているのだ。
映画化にはあまりにも難しい題材を、人的にも金銭的にも大量の物量投入で乗り切ろうとするとても贅沢な姿勢は、今の日本が忘れたなにものかがあるだろう。(言い過ぎ)

ヤマタノオロチの首やらスサノオが投げた馬の首を動かしたりするためのテグスが見えたり妙にカクカクと飛ぶ鳥やら、円谷英二の特撮は確かに今見るとちょっとちゃっちいけど、よく考えればこの映画は1959年に作られた映画である。当時の人々の驚きようが伺えよう。ほぼ50年が過ぎた今見てさえそれが逆に味があるように見えるくらいだ。
逃げ惑う人々が神罰の溶岩に呑まれるシーンで、人が一人一人溶岩に消えるたびにポッと炎が灯るのが芸が細かくて笑った。

しかしなんと言ってもこの映画の一番の見所は円谷英二と三船敏郎のコラボで造り出された「ヤマタノオロチ VS 三船敏郎」であろう。
酔い潰れた人間は見苦しいだけやけど、だらしなく酔い潰れてぐったりしているヤマタノオロチはやたらと可愛かった。そして酔って暴れるヤマタノオロチと戦う三船敏郎が間抜けすぎて笑った。

他の彼の演技も中々に秀逸で、彼が西征の際に敵を討つ為に女装をして敵陣に忍び込み、絶世の美女として敵に近づくのだが、設定上大ボスがスケベ心をそそられるはずのちらりと見える目があまりに鋭すぎて殺気だらけで怒気を含み、子供なら見ただけで泣きそうな怖すぎる視線で笑った。きっと三船敏郎は女装させられたのに相当怒っていたに違いない。
悪戯を思いついてルンルンでスキップするミフネ、何故か魔法を使えるミフネ、過剰か過不足かでしか泣きの演技をしないミフネ。彼は大根であると揶揄される事がとても多いけど、逆に彼の大根っぷりは見事に神話世界にマッチである。

三船敏郎を見るためにこの映画を観た私にとって、彼がスサノオとヤマトタケルの二役を演じたこの映画は、三船敏郎が侍ではなく大和の剣士でありちょっと殺陣もチープであったのを除けば、「三船敏郎を見る」と言う一点で大いに満足である。
そしてなによりこの映画は、過去から未来までの日本を代表する二匹の怪物の対決、すなわち「ヤマタノオロチ VS 三船敏郎」というまさに「ある意味で日本の神話」を観られると言う意味で大いなる価値があるだろう。(言いすぎ?)

2008年06月18日

●64ビットバイナリなるlsコマンドなど、いとをかし。

apacheなどを4ギガ超のメモリを搭載しているマシンでグリグリ動かす場合とかは64ビットバイナリにしておくと大量のメモリを使えるので良さげやけど、そんなに多くないメモリの自宅サーバーで使う分には64ビットバイナリなど殆ど意味なんか無いだろう。
逆にライブラリの互換性の問題が出てきたりとかもあるので無難に32ビットでコンパイルしておくほうが良いような気がする。
仕事でSPARC上でコンパイルする場合、CFLAGSに"-xarch=v8"を追加してわざわざ32ビットアーキテクチャで決め打ち、何かの拍子に64ビットにならんようにするくらいである。

とは言っても、64ビットバイナリで動いているデーモンというだけでなんか気分が良いし、可能なら64ビットバイナリを生成したくなるのはヲタの性であるし、害の無い所で無駄に64ビットのlsやrmコマンドなどをつくってみるのも乙なものである。
更にコマンドをls64,rm64などとリネームしておけば無駄に恰好良さげで、「いとをかし」である。
早くも便利でもない逆にリスクのある自己満足こそヲタの真骨頂というところか。

と言う事で、ここからが本題、バイナリとプロセスが64ビットかどうかを調べる方法を書いてみる。

SparcやAMD64などのマシンで何かをコンパイルした後、ちゃんと64ビットバイナリが出来ているのか確認する場合、例えばopensslのバイナリが64ビットで動作するのかどうか知りたければ、fileコマンドを使って、

# file /usr/local/bin/openssl
/usr/local/bin/openssl: ELF 64-ビット MSB 実行可能 SPARCV9 バージョン 1[動的にリンクされています][取り除かれていません]
ってな出力を確認する。

コマンド単体で無く、既に動作しているプロセスに対する場合は、plddコマンドを使ってプロセスが使用しているライブラリを確認したり、pflagsコマンドでdata modelを確認したり、pmapでメモリのアドレス空間の大きさを見たりすると良いらしい。

例えばapacheの場合は、
/usr/bin/ps -ef|grep httpd
等としてプロセスIDを調べた後、

pdddの場合は、

# pldd 16497
16497: /usr/local/apache/bin/httpd
/usr/local/apache/libexec/libhttpd.so
/lib/sparcv9/libsocket.so.1
/lib/sparcv9/libnsl.so.1
/lib/sparcv9/libpthread.so.1
/lib/sparcv9/libthread.so.1
/lib/sparcv9/libc.so.1
sparcv9とかamd64のライブラリを使っていれば64ビット。

pflagsの場合は、

# pflags 16497
16497: /usr/local/apache/bin/httpd
data model = _LP64 flags = ORPHAN|MSACCT|MSFORK
/1: flags = ASLEEP pollsys(0xffffffff7ffff5d0,0x0,0xffffffff7ffff690,0x0)
data model が _LP64 なら64ビット。

pmapの場合は

pmap 16497
16497: /usr/local/apache/bin/httpd
0000000100000000 8K r-x-- /usr/local/apache/libexec/libhttpd.ep
0000000100100000 8K rwx-- /usr/local/apache/libexec/libhttpd.ep
0000000100102000 224K rwx-- [ heap ]
~略
で、メモリアドレス空間が16進数で16桁なので64ビット(32ビットの場合は8桁)

って感じやね。

参考ページ(と言うか殆ど丸写し…):動作しているプロセスが、32 bit または 64 bit バイナリのどちらか?@やっぱり Sun がスキ!


2008年06月17日

●映画:「独立愚連隊」/良い意味で軽い戦争映画

amazon ASIN:B000BVKFSK なぜか岡本喜八の映画はレンタル屋さんで見るとついつい借りてしまう。ということで、岡本喜八「独立愚連隊」 (1959/日)を観た。

北支戦線の城塞都市に現れた報道記者の荒木と名乗る男が、前線の遥か前方の敵の勢力圏内にある、危険極まりない囮のような砦を守る、独立愚連隊と呼ばれる小哨隊の存在に興味を持ち、そこに出かける。
その小隊で過去に起こった、敵との戦闘を前にした士官と現地の娘との心中事件を調べているうちに、その後ろに潜む陰謀が明らかになってくる。
と言う感じやけど、基本的にはコメディである。
このどう見ても太平洋戦争の軍隊ものだと思われないアホっぽいパッケージがこの映画をうまく物語っているような気がする。

一応戦時中の物語でかつ戦争が描かれた物語やけど、どちらかと言うとミステリやとかサスペンスな味付けのアクションなコメディーである。
戦争と戦闘を描きながらもじめじめした暗さは全くなくて、岡本喜八っぽいウィットに富んだ台詞回しとかコメディー的な要素が満開で全編が妙に明るい。
戦争の醜さやとか恐ろしさやとか非人道さなど微塵も描かれないけど、徹底的に戦争なる行為をバカにしているように見える。
縁しか残っていない軍旗を必死で守って命を懸けて持ち帰ったりするところなどその際たるものだろう。

戦争自体をバカにしつつも決して批判しているわけでない絶妙なバランス感覚がとても好感が持てる。
戦争を否応なく巻き込まれた悲惨な状態ではなく、バカらしいけどそこにある環境として捉える。とでも言ったようなスタンスを見たような気がする。
同監督の「肉弾」でも思った事やけど、こう言うスタンスで太平洋戦争の日本軍を描くのは彼くらいしか出来ないのではないだろうか。

三船敏郎が出ているっていうことで観始めて、狂った隊長と言う彼の怪演に期待が膨らむも、すぐに途中退場で「えーっ…」やったけど、その後もとても面白かった。
公開当時にとてもヒットしてシリーズ化までされたのも頷ける。ということで、良い意味で軽く見れる娯楽戦争映画であった。

2008年06月16日

●fileutilsはCoreutilsに

最近、家に帰ると時間を見つけてコツコツと少しずつsolarisでサーバーを作っている。
なんかsolarisと戯れるのも久しぶりである。相変わらずコンパイルしてると妙に落ち着くのは何でやろう。

土偶はsolaris使いになる前に慣れ親しんだlinuxコマンドの影響から、いつもsolarisインストールした後に、GNU互換のlsとかcp、ln、chmod、chown等のコマンド群が入った「fileutils」ってパッケージをコンパイルして入れているのやけど、なんか今回はダウンロードしようと何処を見てもバージョンが古く、4.1.11から進んでいないように見える。

で、よく調べていると、 FileutilsはFileutils単体でのバージョンアップは終わり、 Shellutils、Textutilsと共に、Coreutilsと言うパッケージに統合されたらしい。
GNUのアナウンスでは、どうやら2003年の4月4日のcoreutils-5.0の最初のメジャーリリースからそういう事になっていたようだ。全然知らんかった…

一つのパッケージをmakeすれば三つのバッケージ分のバイナリが出来るので便利と言えば便利、お得と言えばお得なのだが、ShellutilsもTextutilsもあまり使わん上に、使ったとしてもcatとかtailはsolarisの方のコマンドで慣れてるので、私にとっては結構微妙というか大きなお世話でもある。

makeした後にmake install せずに、srcディレクトリ以下に生成された必要なコマンドのバイナリだけ手動でコピーして使う方が良いかも。

2008年06月15日

●土偶について

●2008年初夏版

● 何してる人?
三十半ばを過ぎ、京都の某大学でコンピューター技術者としてシステム管理者を勤め、最近はちょびっとした開発系の業務にも…
などというと聞こえはいいが、唯の電脳的雪かきオヤジ。なんかコンピューター関係で困った事があると、悪代官の屋敷とかで「先生お願いしますっ!!」と言われて出てくる素浪人のような存在であろうか…
チームが違う職場の人には「いつもなにしてんの?」
学生には「働いてんの?」
とよく聞かれる。orz

● どこに住んでる?
京都市の北の方で、父母と同居

● 土偶のスペック
夏は海で魚突き、冬は引きこもって火鉢にあたる。
一年中古臭い本を読み、古臭い音楽を聴き、変な映画を観ている。何故か黄色が好き。
よっぽどの大荷物か遠い所でない限りどこへ行くにも自転車で移動。当然自転車通勤。

WindowsのActiveDirectory(仕事柄)とSolarisとSparc(趣味)が得意技。ちょっとしたサーバーでも無理矢理Solarisで作る「いつも心に太陽を」原理主義者。さらにwindows系はなんでもバッチでやろうとするので職場では「隙があればバッチんぐ大将」の称号を拝命。
業務でちょびっとしたリレーショナルデータベースをつかった開発に係わり、そっち分野にも明るくなった。
最近MAC OS Xを触る機会が多く興味津々。買いたいけど土偶にはちょっと高いなぁ…
各方面で叩かれているPHPですが、私はこれなしに生きていけません…UNIXだろうがWindowsであろが、WEBインターフェイスであろうがシェルスクリプトであろうがバッチであろうが、インターフェイスやアーキテクチャー問わずPHPで書いています。だって便利なんだもん!!

自転車のフルメンテと半田付けと焚き火や炭の火熾しもそこそこ得意だと自分では思っている。
結構立派なピュアーオーディオなシステムを持っているのと自転車で琵琶湖を一周した事があるのと寿司が握れるのがちょっとした自慢。
2005年から本格的に始めた魚突きでの最大深度は10mほど。最大魚(ボラ除く)はまぐれの45cmクラスのチヌとまだまだひよっ子。
新調したチョッキ銛を手にいつか回遊魚と50クラスのイシダイやらチヌやらを狩るのを夢見る。しかし最近は海から遠ざかっているなぁ(遠い目)
アルミのプジョーフレーム+Deore++の雨雪用MTBとクロモリフレーム+74dura+CENTAURエルゴ&ブレーキ+VeloceRDのシマニョーロな遠出用ロードバイクとフルNJS duraの街乗りクロモリピストバイクを駆る。
音楽はMiles DavisとLudwig van BeethovenとJohann Sebastian BachそしてGlenn Gould、本はJohn Maxwell CoetzeeとCharles BukowskiとDostoevskii,Fedor Mikhailovichを、服はABAHOUSEとPPFMで靴はClarksとalfredo BANNISTER、食べ物は揚げ出し豆腐とちらし寿司とカレーと梅酒を好む。そうカレーは別腹。
街中で遊ぶより野外で遊ぶ方を、デジタルよりアナログを、新しい物より古いものを選ぶ傾向にあるようだ。

● 最近どう?
最近余り本を読まず映画ばかり観ている。でもたぶん一過性のものなので又本を読み始めるでしょう。
ZFSとOpenSolarisで俄然Solarisが熱くなってきた。そろそろサーバー新調するかな。
ヘチマとゴーヤと朝顔とフウセンカズラを植えて育つのが楽しみ。
今年の海では海水で茹でたアサリとサザエの白ワインベースのスパゲティーとマダコとカワハギのカワハギ肝風味カルパッチョを作るぞー。
固定ギアのピストで転んで額を割りちょっと色々考えた。皆事故には気をつけよう。

苦情、不幸のメール、ファンレター、ラブレターなどはこちらへ dogu@dogu.no-ip.org


以下2007年初夏版

● 何してる人?
三十半ばを控え、某大学でコンピューター技術者としてシステム管理者を勤め、最近はちょびっとした開発系の業務にも手を染める
などというと聞こえはいいが、唯の電脳的雪かきオヤジ。
チームが違う職場の人には「いつもなにしてんの?」
学生には「働いてんの?」
とよく聞かれる。orz

● どこに住んでる?
京都市の北の方で、父母+スジシマドジョウ小型種琵琶湖型*3+メダカ*2+モエビと同居

● 土偶のスペック
夏は海で魚突き、冬は引きこもって火鉢にあたる。
一年中古臭い本と古臭い音楽を聴いている。
よっぽどの大荷物か遠い所でない限りどこへ行くにも自転車で移動。当然自転車通勤。

WindowsのActiveDirectory(仕事柄)とSolarisとSparc(趣味)が得意技。なんでもバッチでやろうとするので職場では「隙があればバッチんぐ大将」の称号を拝命。
最近は業務でちょびっとしたリレーショナルデータベースをつかった開発に係わり、そっち分野への苦手意識も克服しつつある。

自転車のフルメンテと半田付けと焚き火や炭の火熾しもそこそこ得意だと自分では思っている。
結構立派なピュアーオーディオなシステムを持っているのと自転車で琵琶湖を一周した事があるのと寿司が握れるのがちょっとした自慢。
2005年から本格的に始めた魚突きでの最大深度は10mほど。最大魚(ボラ除く)はまぐれの45cmクラスのチヌとまだまだひよっ子。
新調したチョッキ銛を手にいつか回遊魚と50クラスのイシダイやらチヌやらを狩るのを夢見る。
アルミのプジョーフレーム+Deore++のMTBとクロモリフレーム+74dura+CENTAURエルゴ&ブレーキ+VeloceRDのシマニョーロなロードバイクとフルNJS duraのクロモリピストバイクを駆る。
音楽はMiles DavisとLudwig van Beethoven、本はJohn Maxwell CoetzeeとCharles BukowskiとDostoevskii,Fedor Mikhailovichと村上春樹を、服はABAHOUSEで靴はClarks、食べ物は揚げ出し豆腐とちらし寿司とカシスソーダと梅酒を好む。
街中で遊ぶより野外で遊ぶ方を、デジタルよりアナログを、新しい物より古いものを選ぶ傾向にあるようだ。

● 最近どう?
最近、まったり系自転車乗りに目覚めた友人が増えてうれしい限り。
巨大なメッセンジャーバック(TIMBUK2のXL)を購入して自転車での積載量が大幅にアップ。ますます自転車道に磨きがかかる。
さらには本読みも新たな地平に突入したようでいい感じ。しかし、あまりSolaris君と遊ばない日々が続きちょっと気にしている。
タバコを吸わなくなってちょうど一年くらい。夏が近づきそわそわそわ。
冬に懲りだした万年筆は習慣として定着。皆様のご自宅に使っていない万年筆があればぜひ土偶へ!

苦情、不幸のメール、ファンレター、ラブレターなどはこちらへ dogu@dogu.no-ip.org

以下2007年 新春版


● 何してる人?
三十半ばを控え、某大学でコンピューター技術者としてシステム管理者を勤め、最近はちょびっとした開発系の業務にも手を染める
などというと聞こえはいいが、唯の電脳的雪かきオヤジ。
チームが違う職場の人には「いつもなにしてんの?」
学生には「働いてんの?」
とよく聞かれる。orz

● どこに住んでる?
京都市の北の方で、父母+スジシマドジョウ小型種琵琶湖型*3+メダカ*2+モエビと同居

● 土偶のスペック
夏は海で魚突き、冬は引きこもって火鉢にあたる。
一年中古臭い本と古臭い音楽を聴いている。
よっぽどの大荷物か遠い所でない限りどこへ行くにも自転車で移動。当然自転車通勤。

WindowsのActiveDirectory(仕事柄)とSolarisとSparc(趣味)が得意技。なんでもバッチでやろうとするので職場では「隙があればバッチんぐ大将」の称号を拝命。
最近は業務でちょびっとしたリレーショナルデータベースをつかった開発に係わり、そっち分野への苦手意識も克服しつつある。

自転車のフルメンテと半田付けと焚き火や炭の火熾しもそこそこ得意だと自分では思っている。
結構立派なピュアーオーディオなシステムを持っているのと自転車で琵琶湖を一周した事があるのと寿司が握れるのがちょっとした自慢。
2005年から本格的に始めた魚突きでの最大深度は10mほど。最大魚(ボラ除く)はまぐれの45cmクラスのチヌとまだまだひよっ子。
新調したチョッキ銛を手にいつか回遊魚と50クラスのイシダイやらチヌやらを狩るのを夢見る。
アルミのプジョーフレーム+Deore++のMTBとクロモリフレーム+74dura+CENTAURエルゴ&ブレーキ+VeloceRDのシマニョーロなロードバイクとフルNJS duraのクロモリピストバイクを駆る。
音楽はMiles DavisとLudwig van Beethoven、本はCharles BukowskiとDostoevskii,Fedor Mikhailovichと村上春樹を、服はABAHOUSEで靴はClarks、食べ物は揚げ出し豆腐とちらし寿司とカシスソーダを好む。
街中で遊ぶより野外で遊ぶ方を、デジタルよりアナログを、新しい物より古いものを選ぶ傾向にあるようだ。

● 最近どう?
最近、突如として万年筆と筆記用具に拘り始める、意味も無くサラサラっと業務日誌&メモとか読書ノートをつける毎日。
今までの筆不精が嘘のようだ!マジで小学生レベルに落ち込んでいた漢字筆記力を中学生レベルまでは戻したいと。
ちなみにお気に入りの筆記具メーカーはPilotです。

早く大人になりたい土偶はちゃんとした大人のお金の使い方しようと決心しました。
野菜を育てつつ、凹んだり浮き上がったりを繰り返しながら火鉢で竹輪や食パンを炙る毎日。
なんかもう彼女なんかいなくても良いや。と思い始めて来て自分でもちょっと嫌。

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以下2006年秋版


● 何してる人?
三十半ばを控え、某大学でコンピューター技術者としてシステム管理者を勤める。
などというと聞こえはいいが、唯の電脳的雪かきオヤジ。
チームが違う職場の人には「いつもなにしてんの?」
学生には「働いてんの?」
とよく聞かれる。orz

● どこに住んでる?
京都市の北の方で、父母+スジシマドジョウ小型種琵琶湖型*3+メダカ*2+モエビと同居

● 土偶のスペック
夏は海で魚突き、冬は引きこもって火鉢にあたる。
一年中古臭い本と古臭い音楽を聴いている。
よっぽどの大荷物か遠い所でない限りどこへ行くにも自転車で移動。当然自転車通勤。
WindowsのActiveDirectory(仕事柄)とSolarisとSparc(趣味)が得意技。なんでもバッチでやろうとするので職場では「隙があればバッチんぐ大将」の称号を拝命。
自転車のフルメンテと半田付けと焚き火や炭の火熾しもそこそこ得意だと自分では思っている。
結構立派なピュアーオーディオなシステムを持っているのと自転車で琵琶湖を一周した事があるのと寿司が握れるのがちょっとした自慢。
2005年から本格的に始めた魚突きでの最大深度は10mほど。最大魚(ボラ除く)はまぐれの45cmクラスのチヌとまだまだひよっ子。
新調したチョッキ銛を手にいつか回遊魚と50クラスのイシダイやらチヌやらを狩るのを夢見る。
アルミのプジョーフレーム+Deore++のMTBとクロモリフレーム+74dura+CENTAURエルゴ+VeloceRDのシマニョーロなロードバイクを駆る。
音楽はMiles DavisとLudwig van Beethoven、本はCharles BukowskiとDostoevskii,Fedor Mikhailovichと村上春樹を、服はABAHOUSEで靴はClarks、食べ物は揚げ出し豆腐とちらし寿司とカシスソーダを好む。
街中で遊ぶより野外で遊ぶ方を、デジタルよりアナログを、新しい物より古いものを選ぶ傾向にあるようだ。

● 最近どう?
早く大人になりたい土偶はコンピューター書籍も買うようになりました。
海へ行く隙を伺いつつ、野菜を育てつつ、火鉢を出すのを楽しみにしつつ、妖精になる日を夢見ている。

苦情、不幸のメールなどはこちらへ dogu@dogu.no-ip.org

●映画:「インソムニア」/ネロ少年VSシャア/テレビでええやん

amazon ASIN:B00006IZRE 先日ロビン・ウィリアムズが気持ち悪いおっちゃんを演じていると言う「ストーカー」を観て、ただの可愛そうなおっちゃんで全然気持ち悪く無いやん。ということで、観たいと思っていた、彼が猟奇殺人事件の犯人役と言う初めての悪役を演じたらしいクリストファー・ノーランの「インソムニア」(2002/米)を前日の土曜日に観た。

白夜の続くアラスカで少女に対する猟奇殺人が起こり、ロスから飛ばされてきた二人の刑事が事件にあたる。一人が犯人の追跡激の最中に命を落としたことで一人になった刑事は慣れない白夜と色々な気がかりによって引き起こされる寝不足と混乱の中犯人を追う。
と言う感じのストーリである。タイトルの「インソムニア」はその「寝不足」と言う意味らしい。

少女に対する猟奇殺人ということで、「どう見ても良い人顔やのに、実は裏ではありえんぐらいにエログロでぶっ飛んでる」って感じのロビン・ウィリアムズのエグい演技を非常に期待していたのやけど、やっぱりちょっと感情移入の出来る良い人っぽい所のある犯人やった…
確信的に殺したのではなく、ものの弾みと言うところがもう救いがたく変態度低しである。やるならとことんまでやれよーロビン・ウィリアムズさんよーと思った。

しかしながら、その犯人を追うアル・パチーノがとても良い感じやった。まぁ主役は彼やしね。
最初観る前から「あんまり面白い映画ではないですよー」と言われていたわりにはとても熱中して見られた。
この映画で「おおっ!」と思った一番の見所はロビン・ウィリアムズがアル・パチーノをボコボコにするシーンである。中々シチュエーション的に面白い感じではなかろうか?
アニメで言えば愛犬パトラッシュに跨ったネロ少年がゲルググに乗ったシャアを一方的に攻撃するようなもんであろう。

映画全体として、確かに面白いけど、別にアル・パチーノとロビン・ウィリアムズである必要も無かろうし、映画でなく二時間ドラマでええやんといった「テレビでええやん映画」であるとも思った。
決して面白くないわけじゃないねんけどね…

とは言っても、ドキュメンタリーと刑事ものはよっぽどうまい事作らないと「テレビでええやん映画」になってしまうような気もするなと思った。

●このBlogについて

このブログについて2008年06月15日版

当初はちょっとしたSPARCサーバー運用の実地テストのつもりで始めた自宅サーバーでのこのブログの運営も現在三年目に。
日付詐称エントリはあれども、毎日更新を心がけています。
ブログの更新は完全な日常になりつつも、ブログ依存にならないようにしないとねー

● 対象読者、内容について
当初はコンピューター技術系Blogの予定だったものの、いつの間にか本の感想ブログになり、現在は映画の感想ブログであるかのように。
一応、メインコンテンツは、Solaris、本、映画という事なので、それらに興味のある方向けに読んでいただけ、何かの参考になれば幸いです。
開設当初はリアル友人だけが見てくださっていたものの、現在はそうでも無い方にも沢山読んでいただいているようです。
ということで、リアル友人にしかわからない身内ネタでも、なるべく一般性を持たせて書くように心がけています。

● 動作環境
●クライアント
FireFox IE60で動作確認しています。800x600では端が切れるので1024x768以上をお勧め。
●サーバー
詳しく書くと穴つつかれそうなのでほどほどに書きますが、自宅のnetra T105上のSolari10、Apache、Mysql4、MovableType3.151-jaで運用。ついでにMoblogも実装。


以下 2007年06月29日 版

● 開設にあたって
blog自体は以前に某43の真似をして自鯖でapacheとMovableTypeとmysqlとPythonの勉強もかねて構築し、遊ばせておくのも勿体無いので始める。
開始したもののエントリーするにつれ鬱屈した卑屈ダウナー系鬱blogと化し、読むものを汚物を目にしたかのような戦慄と、隣家に鵺の如き物の怪が住んでいた事を知ったような恐怖に叩き込む。
ほとんどコメントもトラックバックもつかぬまま一年半ほどが経過、このままでは俺自身が鬱屈した卑屈ダウナー系鬱人間となる!!人目にさらされれば大丈夫だろうということで2006年を迎えるにあたって心機一転メジャーデビュー。

● 対象読者
殆ど思ったこと書き散らしてるだけなので、Computerカテゴリが役に立つ読者が対象になるかと。
手前味噌ですがSolaris/Sparcカテゴリは内容濃くするつもりです。

● 内容について
方向性全く無し。思ったまま感じたまま考えたままを時々妄想も入れつつ、なるべくイタくないような文章で書くように心がけたいです。
リアル友人しか見ていないので(たぶん)、思い切ったことは書けないけど、それなりに思い切ったつもりで書いてはいます。

● 動作環境
●クライアント
FireFox IE60で動作確認しています。800x600では端が切れるので1024x768以上をお勧め。
●サーバー
詳しく書くと穴つつかれそうなのでほどほどに書きますが、自宅のUltra5上のSolari10、Apache2、Mysql4、MovableType3.151-jaで運用。ついでにMoblogも実装。

●カテゴリについて

カテゴリについて 2008年6月15日版

日記/雑記/妄談
  • 日々思ったり感じたりしたことについて。どちらかといえば日記。妄想もあり。ノンジャンルの文章。

Computer
  • リーナスの真似をするわけではないけど、一度やったことをもう一度繰り返すのは苦痛だ!自分で発見した車輪を再発見する嫌だ!という事で作業の亡備録として。
  • GNUGPL文化に賛同する者として自分の開発したソースコードやノウハウの公開の場として。
  • コンピューター全般の話題について。
  • 下の三つのサブカテゴリに当てはまらない話題について。
  • どちらかと言えばUNIXの話題が多いかと。

BSD/Linux
  • BSD(主にNetBSD)とLinux(主にSuseLinux)に特化した話。

Server/Daemon
  • apache、postfix、mysqlなどの「サーバー」を構成するデーモンソフトウェアに特化した話。主に作業記録

Solaris/Sparc
  • 私の心酔するSolarisやSUNやSparcに特化した話。

いきもの
  • 海や山だけでなくその辺にいる生き物について。
  • 釣り、魚突きの話題が多くなるかと。

映画
  • 観た映画の感想について
  • もともと映画を観る人じゃなかったのですが、ある時期から突如観るようになりました。
  • 当初は「有名やけど観ていない昔の映画を観よう」企画のはずが、最近はずれて行っているような。
  • ということで、昔から映画を観ていた訳ではない人の感想となります。
  • 一応面白くてもそうでなくても、DVDやビデオで観た物については全て感想を書きます。

  • 感想書いている内に理解が深まることが多いので、読んだ本の殆どについて逐一感想を書きます。
  • なるべく好意的に感想を書く方向で、無駄に批判するのは避けたいです。
  • ターゲットは同じく本好きの人に向けていますが、あまり本を読まない人にも何かしらのきっかけになればと思うです。
  • 以前書いていた★の数で表した「~度」は廃止。
  • 定期購読書である『グインサーガ』については書き出すと収集つかなくなるので書きません。

生活
  • 日記/雑記/妄談 に近いけど、どちらかと言えば俺の「ライフスタイル」寄りの話。
  • あとお料理の話とか

音楽
  • 日常的に音楽は聴いているけど、特に印象に残ったり、これは!というものについて。

画像
  • amazonのリンクではない、土偶自身でアップロードした画像つきのエントリ一覧。
以下 2006年05月02日 版

日記/雑記/妄談
  • 日々思ったり感じたりしたことについて。どちらかといえば日記。ノンジャンルの文章。

Computer
  • リーナスの真似をするわけではないけど、一度やったことをもう一度繰り返すのは苦痛だ!という事で作業の亡備録として。
  • GNUGPL文化に賛同する者として自分の開発したソースコードやノウハウの公開の場として。
  • コンピューター全般の話題について。
  • 下の三つのサブカテゴリに当てはまらない話題について。
  • どちらかと言えばUNIXの話題が多いかと。

BSD/Linux
  • BSD(主にNetBSD)とLinux(主にSuseLinux)に特化した話。

Server/Daemon
  • apache、postfix、mysqlなどの「サーバー」を構成するデーモンソフトウェアに特化した話。主に作業記録

Solaris/Sparc
  • 私の心酔するSolarisやSUNやSparcに特化した話。

いきもの
  • 海や山だけでなくその辺にいる生き物について。
  • 釣り、魚突きの話題が多くなるかと。

  • 感想書いている内に理解が深まることが多いので、読んだ本の殆どについて逐一感想を書きます。
  • なるべく好意的に感想を書く方向で、無駄に批判するのは避けたいです。
  • ターゲットは同じく本好きの人に向けていますが、あまり本を読まない人にも何かしらのきっかけになればと思うです。
  • 村上春樹、グイン・サーガについては「読まない」という選択肢はないので、★の数で表した「~度」は書きません。

生活
  • 日記/雑記/妄談 に近いけど、どちらかと言えば俺の「ライフスタイル」寄りの話。

音楽
  • 日常的に音楽は聴いているけど、特に印象に残ったり、これは!というものについて。

Moblog
  • 主にPHSで撮った画像。

2008年06月14日

●映画:「黒いオルフェ」/メメント・モリ

amazon ASIN:B00006GJIA 「黒いオルフェ」(1959/仏=ブラジル)を観た。
「黒いオルフェ」で有名な「カーニバルの朝」という曲を初めて聴いたのは、オリジナルのボサノバでもスタン・ゲッツでもなくMJQの「シェリフ」というアルバムであった。
この曲が映画内で使われたものであることを知って興味を持ち、その映画を深夜枠のテレビで観たのは十五年くらい前やけど、半分寝ながら観たせいか、なんかやたらみんな踊っているだけで中途半端な映画やなぁという印象しか残っていなかった。で、この映画がそれなりに名作のような扱いをネット上でされていることが多いことを知り、レンタル屋さんで見かけて久しぶりに観たくなったので借りてきた。

ストーリはカーニバルに沸いたブラジルのリオデジャネイロに、殺意を持っているらしい男から追われて従妹を頼って逃げてきた来たユリディスという女の子が、ギターと歌が上手でモテモテの別の女性と婚約したばかりのオルフェウスという男に恋をする。といったものやけど、タイトルや主人公とヒロインの名前、冥界に下ったりマイナスに襲われたりするオルフェウスのエピソードのとおり、ギリシャ神話のオルフェウスの物語をモチーフにしているようだ。

ヒロインを追っているのはいわゆる死神の比喩なんはわかりやすい。
結婚式や飲み会ではしゃいでいる時に逆に死を意識することは良くあるけど、それ以上に作中の妙に突き抜けて高いカーニバルのテンションと、ヒロインを追う不気味な男から色濃く漂う死の雰囲気の一体感はまさに「死を忘れるな」とも訳される古来から芸術のモチーフにされることの多い「メメント・モリ」な雰囲気を良い感じに醸し出していた。

最初から最後まで途中で歌われる歌も世の悲しさと一時の楽しさを歌うものが多かったし、カーニバル中に走り回る救急車も印象的である。一年の稼ぎを一日で使い果たすほどの熱狂を見せるリオのカーニバルの勢いが強ければ強いほど、同じ絶対値を持つ死もまた強く意識されるのだろう。
熱狂的なカーニバルと恋に対する死神と死がとても近い表裏一体のものであるとして描かれているあたりが、ただのブラジリアン恋愛映画で終わらない底力となっているような気がした。

しかし、この映画を額を割った日の夜に見たのだが、さすがに自分のこんな状況と起こった事を考え合わせて、女の子が死神に追いかけられるのを見てるのは気分のいいもんじゃなかったなぁ…

2008年06月13日

●自転車で転び、額を割って思った事

朝出勤しようと自転車に乗っていた筈が、気付くと救急車の中に座っていた。額にガーゼが張られてシャツと鞄に点々と血がついていた。どうやら怪我をしているようだ。
救急隊員の方に「覚えているか?」と聞かれて首を振る。何も覚えていない。
話によると自転車に乗っていた私は溝にはまって一人で転び、額を割って救急車を呼ばれた。という事らしい。

結局病院に救急車で運ばれ、関係者に事の次第を連絡し、割れた額を縫い、レントゲンとCTスキャンを撮り、特に額の傷以外は問題はなさそうだと言う事でとりあえず帰ってきた。
自転車乗りとしては余りにも無様である。いや自転車乗り以前に人間として無様なのかもしれない。

事故した事自体はまぁおいておいて、何よりも一番不思議なのは、事故を起こして救急車に乗ったまでの記憶が全く無い事である。
固定ギアが怖いので常にゆっくり走っていたので、そんなにスピードは出ていなかったはずであるし、車道にある排水溝の溝も何時も注意して避けていたからそこにはまったとも思いにくい。
事故前後の事を何も覚えていない。いくら思い出そうとしてもなにも思い出せない。事故の真相は永遠の闇の中である。
今まで何度も自転車で転んだけど、こんな酷い事になったのは初めてである。おそらく、色々な事が同時に重なった結果起こった事なのであろう。
頭を打って記憶が飛ぶと言うのはよくある話でその事自体は特に心配ないとお医者さんに言われたのでやや安心したけど、救急車の中に座っている自分に気付いた時は、すでにちゃんと自転車に鍵をかけ、スピードメータを外して鍵と一緒に鞄に入れていた。鍵のかけ方とメーターを回収した行動から見る限り、これは私がやったのだろう。自分の記憶の欠落を深く意識する。

ある種の泥酔者は自分の酔った時の行動を全く覚えていないと言うけど、酒を余り飲まない私にとってはそのような経験は初めてである。自分の記憶の喪失が転んだ顛末以外の他の事に及んでいないかと激しく恐怖する。仕事上のもろもろのアカウントやサーバー名や人物、はたまた本や音楽や人の名前を片っ端から思い出してみる。特に忘れている事は無さそうやけど、記憶に無い事を思い出すのは不可能なのでまぁ程々であきらめるしかない。

見知らぬ誰かが救急車を呼んでくれて救急車やら病院やらの人の善意によって私は死なずに済んだわけである。生きてて良かった。私に同情と慈悲を寄せてくれた全ての人と、私を殺さなかった何者かに深く感謝する。
そして、自分の記憶の欠落を思うにつけ、頭の中に記憶として蓄えられるような知識とか知覚とかって言うのは実は簡単に頭から欠落するわけで、余りにも脆くて空しいものなのだと深く感じた。それでもそんな人間の蓄積された記憶を否定する事は出来ないし、人間個人は記憶の蓄積によって個人として成り立っているのも間違いないだろう。
結局の所、この脆さとか空しさってのは人間個人の存在の脆さと空しさでもあるのだと。

頭の中に蓄積される知識と頭によってのみ知覚される真理や定理ってのを私は殆ど唯一のもののように求めていたような気がするけど、それのみを頼りにするのはやっぱり空しいと思うようになった。
パスカルやアウグスティヌスが信仰は習慣で作られて強化されると言うような事を言っていたけど、理性に制御されていないながらも、無意識で自転車に鍵をかけ、スピードメーターを外して鞄に入れる原動力となった「習慣」の力の偉大さを思い知った。

いくら頭の中で崇高な思想を掲げようとも、いくら口で高邁な言葉を述べようとも、いくら深遠な真理を理解したと意識しようとも、実際にその通りに行動出来なければそれらは空しい。そして無意識の行動とは殆ど習慣で形作られるものである。
頭の中で考えられて口だけで話される事は私とは余り関係ない。私の行動こそが私と関係あるものである。
私が思い考え話す事が私を表わすのではなく、私が行う事が私を表わすのであると。
などと当たり前の事に気付き、ちょっとだけ自分を謙遜にしたような気がする、額にチャッキーか丹下左膳のような傷跡を残す事になるであろう単独事故の顛末であった。
もちろんそれ自体が頭の中で考えられた事なのであるから、それが私の身になって私の考えであると言えるようになるのは日々の生活上の実践にしかよらないのだろうけど。

怪我をする事で心配をかけてしまった人に対して激しく申し訳なく思う。このような心配をさせないためにも事故はすべきではないと思う。
自転車に乗ってこんな怪我をする事で、他の自転車乗りに有形無形の迷惑をかけたとしたらこれも大変申し訳ないと思うと同時に、こんな怪我を負いながらもやっぱり自転車は良いものであると思う。
そして、全ての自転車乗りに気をつけて走ろう。また固定ギアは危ないよ。と呼びかけたい。

2008年06月12日

●Solaris10でNICを冗長する

sparcアーキテクチャのワークステーションやらサーバーにはイーサネットのポートが二つ搭載されている事が多い。
二つあっても通常はルーターにするなどの用途意外には二つ使う事は殆どないけど、一個を遊ばせておくのももったいないので冗長化させるとなんとなく気分が良い。ということでするたびに何時も忘れる事もあり、このNICの冗長化の設定を書いてみる。

例はhme0(192.168.1.201)と hme1(192.168.1.202)の二つのNICを冗長化して、192.168.1.100(ホスト名t105)という仮想NIC上のアドレスで利用する場合の設定。
普段はhme0で動作しているけど、hme0がハードウェア障害などでダウンした場合、フェイルオーバーされたhme1で動作する。というのが目的。
この設定は2本の線を同時に使って帯域を2倍確保すると言うものではないはずである。

土偶自身が動作確認しているのはNetra t105 上での solaris10 11/06 と 05/08やけど、x86でも可能やと思われる。

/etc/hosts に仮想NICと実NICのIPアドレスを設定する


#
# Internet host table
#
127.0.0.1 localhost
192.168.1.100 t105 loghost
192.168.1.201 t105-hme0
192.168.1.202 t105-hme1


/etc/hostname.hme0 メインのインターフェイスの設定(二行にわたってるけど実際は一行で)


t105-hme0 netmask + broadcast + group production deprecated -failover up
addif t105 netmask + broadcast + failover up

/etc/hostname.hme1 サブのインターフェイスの設定(二行にわたってるけど実際は一行で)


t105-hme1 netmask + broadcast + group production deprecated -failover standby up

と言った感じで完了。別ノードからpingを打ち続けながらケーブルを抜いて動作確認してみよう。

2008年06月11日

●映画「地獄の黙示録」/キルゴア中佐の処世術/いつも心に太陽を

amazon ASIN:B0000635C4 今回から映画エントリは映画の公開年や製作は文中に書く事にして、エントリのタイトルにそのエントリのテーマをちょっと混ぜる事にした。
この間「フッツカラルド」を観てから観たくなったフランシス・F・コッポラ 「地獄の黙示録 完全版」 (1979:オリジナル 2001:完全版 /米)を観た。
この映画は以前観た筈やと思うけど殆ど覚えていなかた。ということで殆ど初めて観たような印象やった。しかも完全版ということで3時間半ほどとやたらと長かったけど、殆ど退屈する事無く一気に観た。

キャリア街道まっしぐらの輝かしすぎる経歴を持つエリート将校が出世の望めない空挺部隊の訓令過程を願い出て、その男を高く買っていた軍から二度拒否されるも、三度の志願の後に受理されて特殊部隊となって泥沼の戦争と化していたベトナム戦争へ参戦することとなる。
ベトナムで戦っていたはずのその男、カーツ大佐は狂気にとらわれて暴走して蜂起し、カンボジア国境を超えた奥地に自らの王国を作り上げる。
そして、そのカーツ大佐を暗殺するために特命を帯びた特殊部隊のウィラード大尉は部下を率いて海軍の警備艇で川を遡上することとなる。
と言った所が大筋やけど、目的地にたどり着くまでの川の流域にある軍の拠点の話がロードムービーの如く語られる。
ベトナム戦争におかれた米兵の恐怖と狂気やベトナム戦争批判などの中々重いテーマが満載で、完全版となって第一次インドシナ戦争以前からベトナムでプランテーションを経営するフランス人入植者のエピソードなども追加される事になり、その上でカーツ大佐のエピソードも増えて、その重い側面は強くなっているらしい。

とはいっても、私の中でベトナム戦争ものの映画は基本的に喜劇と言うかお笑い映画である。

「フルメタルジャケット」がハートマン軍曹の映画であったように、この映画は私にとって強烈なハイテンションで次々と邪魔者をなぎ倒して行くキルゴア中佐の映画である。
彼が率いる編隊を組んだ戦闘ヘリ9台が、ベトコンの拠点の村を攻撃するためにワーグナーの『ワルキューレの騎行』を大音量で流しながら朝日を背に飛ぶシーンは余りに美しいし、アメリカ映画協会による名台詞・ベスト12位に選ばれているらしい、「I love the smell of napalm in the morning」と言う名台詞と共に敵兵が逃げ込んだジャングルをナパームで焼き払うエピソードは余りにも有名である。

絶対に被弾しない軍神的な存在のキルゴア中佐のぶっ飛びっぷりは素晴らしい。自らのヘリ部隊を騎兵隊と名付け、「DEATH FROM ABOBE」(天上からの死神/恐怖)ととペイントしたヘリに乗り、テンガロンハットを被り、死んだ共産側ベトナム兵に「死のカード」を配り、巨大な波の立つサーフィンのポイントを確保するためにベトコンの拠点の村を制圧する。
一見滅茶苦茶な用やけど、ちゃんと趣味と仕事を両立させているところが素晴らしい。被弾して死にそうなベトコンに敬意を払い、怪我したベトコンの村の幼児を病院に運んだり、部下や兵を助けるために危険を厭わないところも魅力満載である。
更に「はらわたが出るまで戦うやつには俺の水をやる」「石器時代に戻せ」など彼の台詞は隅々に渡って余りに冴え渡っている。
なんやろうねぇ。不謹慎バカ映画と捉えるまでもなく、このキルゴア中佐が率いいる「空の騎兵隊」の戦闘シーンに心踊らされる事のない男子はいないやろう。

言うまでも無く、事実上アメリカ側が敗北した共産圏と資本主義圏の代理戦争である「第二次インドシナ戦争」いわゆるベトナム戦争は空しく得るものの無いまったく不毛な戦争であった。
大義も何もないその戦争に参戦した現場の兵士たちに狂気と恐怖と虚無感がはびこったのは当然と言えば当然である。

カーツ大佐がダウナー系のベトナム戦争の狂気を象徴しているとすれば、このキルゴア中佐もアッパー系なベトナム戦争の狂気を体現した存在であるだろう。
暗くジメジメした方向へ突き進むカーツ大佐に引きかえ、趣味であるサーフィンの事を四六時中考えながらも、ちゃんと仕事はこなして、楽しく毎日を過ごすキルゴア中佐を見ていると、不毛な仕事とか人生の絶望とかに対する立場の取り方を学べるなぁ。などと思った。
うむ、「いつも心に太陽を」というのは大事やね。

2008年06月10日

●アンドレイ・タルコフスキー 「ストーカー」(1979/露)

amazon ASIN:B00006RTTS ディスク二枚組の中々の長編で、この映画を映画史上一番であると言う人も多い、名作の誉れ高い映画である。
今まで「ストーカー」というタイトルで、一方的に好きになった相手や別れた彼氏や彼女に付きまとうような類の人の話やと想像して二の足を踏んでいたのやけど、レンタルDVD屋さんでたまたま会った時に「エル・トポ」を紹介してくれた某氏が勧めてくれたので観た。
この映画のタイトルや内容もで使うような意味の「ストーカー」とはまったく違う意味で、どちらかと言うと本来の「追跡者」としての意味で使われているようだ。

付近の住民を多数犠牲にするような「何か」が起こった地域を、政府は立ち入り禁止区域と定めて「ゾーン」と呼ぶ。
軍による厳重な警備が敷かれる中、好奇心やさまざまな理由から「ゾーン」に入ろうとする人々を案内する「ストーカー(猟犬)」という人物がおり、その「ストーカー」は科学者と作家の二人に請われて「ゾーン」の奥深くの何でも願いが叶うと言う部屋へと案内する事になる。という感じのストーリーである。

タルコフスキーの映画は以前に「惑星ソラリス」を観てから二本目やけど、確かに雰囲気がとてもよく似ており、「惑星ソラリス」とこの映画は一応「SF」ということになっているらしい。
惑星ソラリスを観た時に、この映画がSFなのは宇宙と宇宙船と星を舞台にしているだけやん。と思ったのやけど、この「ストーカー」に関して言えば舞台設定から小道具に至るまでSFっぽいものは一切無かった。SFとは思えない静かで静的な映像と台詞回しが淡々と続く。何処でも無い世界やからSFって言う事なんやろうか。

前日に観ている最中に途中で寝てしまったけど、この日はちゃんと全部見た。
とは言っても、間違えてディスク二枚組のうちの二枚目を先に見て、次に一枚目を観てしまったのだが…
途中で寝ておきながら言うのも何やけど、寝た割には不思議と退屈さを感じなかった。眠気を感じるのは退屈さと言うよりは心地よさからに因るような気がする。なんか変にトリップするような映像は、「落ち込み系」ではない本当の意味での「ダウナー系」な心地よさであろう。

なんとなく観る前まではロシア版の愛の国ガンダーラを目指す物語で映像美を見せる映画やと思っていたけど、まさか人間の欲求とか幸せとか価値とかそんな話になるとは思わんかった。
意見や価値や目的や利害などの殆どの面で対立する作家、教授、ストーカーの三人やけど、観ていると背反する3人の一人一人の言い分が理解できて共感できるのが当たり前のようで不思議でもある。
人間の深いところを描こうとしたような、海底に寝そべっているようなダウナー系の映画であった。

2008年06月09日

●黄色/ラリホーな映画

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私をリアルで知っている人はそれなりによくご存知だと思うが、私はとても黄色好きである。 ということもあり、この間の土曜日に黄色いペンケースを一目惚れして買った。 「わー黄色黄色ー」と喜んでいるうちにふと土偶の所有する黄色グッズや街で見かけた黄色い物などの写真をアップする「黄色」カテゴリを作ろうかなぁと思いついた。まぁ思っただけやけど。

前日やたらと寝不足だったのでこの日は一日ねむねむ状態であった。そんな状態で家に帰ってタルコフスキーの「ストーカー」を観出したとたん、とてつもない睡魔が襲ってきてとても耐えられず寝てしまった。
さすが噂どおりの眠たい映画である…

2008年06月08日

●ギャスパー・ノエ 「カルネ」 (1991/仏)

amazon ASIN:B00005HL3G 先日見たギャスパー・ノエの「カノン」の前作であり、かつ、この監督のデビュー作でもある「カルネ」を観た。本来なら「カノン」の前に見たかったけど、レンタル屋さんにおいてなかったのでアマゾンでレンタル落ちのVHSテープを買った。

妻に子供を置いて蒸発され、一人身でまったく言葉を発しない娘と住んでいる馬肉屋の男の物語。毎日毎日馬を切り刻み、娘を風呂で洗い、同じ日常を過ごしつつも、娘が女になって行くのにある種の不安を抱いていた矢先に事件は起こる。

邦題と原題でもある「カルネ」はフランスで健康には良いけどやたらと安くて赤いせいで忌み嫌われている「馬肉」のことであるらしい。
前作「カノン」があまりにも強烈やった上に、ネット上の評判を見る限り同じような強烈な映画やと思っていたたけど、強烈さという意味ではこの「カルネ」は「カノン」に比べてまったくたいしたことなかった。

「カノン」では馬肉屋のオヤジはあまりにも最低すぎたけど、この映画ではある程度感情移入して観られるほどにの普通ちょっとおかしい目のおっさんやった。娘が女になってゆくのを、娘自身の他者からの危険を増大させる原因であると同時に、自分自身が娘を女として見てしまいつつある事をある種の危機としても見ている視点がかなりまともである。それでも普通の映画に比べれば映像はかなり強烈で、冒頭の馬の屠殺解体シーンはなかなか来るものがあった…

「カノン」を観てからこの映画を観るとその刺激の弱さからちょっとつまらん映画に見えるかも知れんけど、基本的には不器用で熱しやすく暴走しやすいおっさんの愛の物語である。強烈な映像が多いわりにかなりちゃんとしたまともな映画やと言う印象を受けた。
強烈な映像と描写がとかく取り上げられがちな映画やろうけど、その影にあるフランス文学の心理描写を思わせるなんとも言えん心暗くてナイーブな雰囲気を漂わせた良い映画やったと思う。アニエス・ベーの絶賛もさもありなんという感じやった。

この映画を持ってきておいて、その続編である「カノン」でここまでぶっ飛ばされるとかなりびっくりするやろう。カノンを作ることを考えた上でカルネを撮ったのやとしたら、「カルネ」から「カノン」への流れは計算しつくされた展開であるのかもしれない。

ネット上で「カノン」の感想を読んでいた時に、「カノン」は深い愛の物語であり、ラストシーンで号泣した。という人が結構いて「はぁ?」と思っていたけど、この「カルネ」を見た後にこの物語の続きとして「カノン」を観たら「カノン」での主人公の罵倒も不満もすべては愛に結びつくわけで、確かに愛の物語であるとうことが納得できるかもしれない。
そういう意味で、観るならちゃんと公開年どおりに「カルネ」→「カノン」を観たかったなと思った。

2008年06月07日

●ストーカー (2002/米)

amazon ASIN:B0002E4FBO 「ストーカー」を観た。といってもかの有名なやたらと長いタルコフスキーの方ではない。
ある巨大スーパーの写真コーナーの、常連のお客さんの家族の写真をこっそり自分の分も焼き増して眺め、自分の家族のように思い込んで、ストーカーまがの言動を行う現像職人のおっちゃんの話である。

まぁまぁそれなりに良くありそうな話やけど、私の中でのミソはこの気持ち悪いおっちゃんをロビン・ウィリアムスが演じているという事。
前からロビン・ウィリアムスが猟奇殺人と変態性欲をエンジョイする気持ち悪いおっさん役をやればさぞかし面白いに違いない。と思っていたので、彼がストーカーな写真店の店員役をやっているということでワクテカして観た。
観たのだが…

前半、彼のお気に入りの家族の写真を自分の分も現像して家に貼ったり、いろいろ妄想しているところがなかなか不気味で結構期待が膨らんだのやけどそれも前半止まり。
確かに気持ち悪いといえば気持ち悪いけど、気持ち悪くなりきらんところが微妙であった。
一家の妻に対してゆがんだ恋愛感情でもってストーカー的に執着するのではなく、家族の息子も旦那にも好意を持って、その家族のおじさん的立場になりたいという欲求を持っているという設定に害がなさ過ぎた。
結局よくあるロビン・ウィリアムスで思いつくような気弱でありつつも可哀想な良い人で終わっていた。

実際現実的に付き合うのは気持ち悪くておかしな人間はごめんやけど、安全地帯で自分の関わりのない所から見る分には変な奴の方が面白いわけで、完全に頭のネジが飛んでいつつも、自分を客観視して制御する精神力も持っているような、たちの悪い気持ち悪いおっさんを期待していたのでかなりに拍子抜けである。

ロビン・ウィリアムスが悪役をするものでは他に「インソムニア」つーのもあるという話を聞いたので、今度ぜひ観てみようと思った。

2008年06月06日

●ソーニャという名の自転車

今年の梅雨入りは6月1日からと早い。そのせいもありこの週はずっと雨の予報だったので、毎日雨用自転車のMTBで出勤していた。「早く晴れてピスト乗りたいわー」などと思いながら。
私は自分の自転車を三台持っていて、町乗り用のピスト、ちょっと遠出の時に乗るロードレーサー、雨雪オフロード用のMTBと用途に分けて乗り分けているのやけど、今週フル活用されたこのMTBは雪の時とか雨の時とか土や砂利や砂の上を走る時に乗られるのがほとんどであり、良く考えれば我が家で一番過酷な条件で働いている自転車である。
しかもほかの自転車を濡らさないがために、自分が雨と泥にまみれて汚れ切っている。

このMTBを人間に置き換えて考えてみればなかなかやり切れんやね。文句も言わず一番大変な時にどろどろになって働いているのに一番評価と価値が低く設定されているわけやし。

私の中でそういった、扱いが悪いうえに蔑まれてその上に幸が薄い存在の代名詞は『罪と罰』のソーニャである。彼女のように悲惨な状態で身を粉にして働き、毎日疲れ果てて人の心配ばかりして、それでも蔑まれて邪険に扱われ、自分は汚れていると自己否定する善良で幸薄い自転車。
もうこの自転車をソーニャと名づけたいくらいである。

そう考えると、このソーニャをもっと評価してもっと大事にしてやらんといかんなぁと思った。
いやもちろん大事にしてるんやけどね。

2008年06月05日

●土偶お天気サービスオンライン

今週ずっと作っていたお天気通知システムが完成した。
名づけて「土偶お天気サービスオンライン」と大層やけど、「yahoo天気情報」からデータをダウンロードしてタグを取って情報を表示しているだけ。
最初は全てのデーターをXMLで公開している所を探したけど、そんな都合の良い所は見つからず、結局YAHOOのデータを地味に加工する事にした。YAHOOお天気の仕様が変われば一撃で終わりと不安定なシステムであるうえに、WEBで見るならYAHOOそのものを見れば良いし、この「土偶お天気サービスオンライン」の存在意義はそれほど無い。

あえて言えば、軽くてデーター量が少ないので携帯電話で見るのに適している。というくらいか。自分と友人用に作ったものやけど折角なのでちょっと公開してみる。

特に存在意義は無いといっても、それでも京都府南部だけでなく全国の情報を取得出来るようになっているのがミソ。
例えば、京都府、南部ならcityコード26、areaコード6100ということで、それを土偶お天気にGETメソッドで渡してやり、http://dogu.no-ip.org/otenki/?city=26&area=6100となる。

cityコードとareaコードはyahooと同じ、YAHOOでの「Yahoo!天気情報トップ > 東海・北陸・近畿 > 石川県 > 能登(輪島)」(http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/17/5620.html)なら、city=17 area=5620なのでhttp://dogu.no-ip.org/otenki/?city=17&area=5620ということやね。

この「土偶お天気サービスオンライン」を作ったおかげで、fopenとfile_get_contentsがhttp://xxx.xx.xx/xxxx.htmlとかにも対応している事を知った。PHPって便利やなー。その癖にfile_existsはhttpに対応しておらず、http://xx.xx.xx/xxx.htmlの存在を判定できないのは中途半端やなーと思った。

2008年06月04日

●人の言葉は人そのものではない

情報公開とはすべからく情報操作の一面を持っている。何かを公開する事はそれを真であると宣言する事でもある。
自分で書いておきながら言うのもおかしいけど、私の書いている事が本当とは限らない。
例えば私がブログで「何かについてこうである」と書いたとしたら、他の人はそれが本当らしく見えれば「何かはこうである」と思うだろうし、本当らしく見えなかったとしても、少なくとも私は「何かはこうである」と考えている。と思うだろう。
しかし、可能性から言えば、私が全く出鱈目を書く事も出来るし、全く思っていない事を思ったとして書く事が出来る。
現実に何か起きた事について書かれていれば、それが本当かどうかは比較的簡単に分かるけど、私が思った事についてはその真偽を調べる事は事実上不可能であろう。

そのほかのあらゆるブログや日記サイトも同様であるとはもちろん言わないし、私は出鱈目も心に無い事も書きたいとは思わない。それでも少なくとも私の書く文章は、自己顕示欲と身の程、自己表現と情報操作、露出趣味と秘密主義の狭間を潜り抜けて生まれてくる。

このブログを読んで私がとても愚かしい人間に見えたら、それはそう見えるだけで、私はそれほど愚かではないと思う。
同様に、このブログを読む事で、もし私が立派な人間に見えたのなら、それはそう見えるだけの話で、私自身が立派な人間であるわけではない。
私の言葉は私ではないし、ある人の言葉がある人そのものでもない。これは私が私の言葉を聞く人に対して願う事であると同時に、私が人の言葉を聞く時の見方であり、私が私の言葉を見る時の見方でもある。

今まで「言葉」を信じてきていたけど、言葉で表現できる事はなんと少ないのだろうかと最近思う。言葉を全面的に信用するのはやっぱり間違いだろうと。
それでもやっぱり言葉は偉大やし、依然として信用できるものでもある。言葉にならないものに対して言葉で挑戦するのは、行為自体に崇高さがあると思う。
一般的な意味で、完全に信用に足るもので無くても、貴重で意義深く尊敬に足るものは愛の対象となりやすいのだろう。

2008年06月03日

●埋めエントリ

これを書いているのはこの週の土曜日の夜中。日付詐称エントリと言う事になる。
この日から週末まで、家に帰っても映画も観ず本も読まずひたすらお天気通知システムのコーディング。
5日も書かなかったのでいっそ書かずにおこうかと思ったけど折角やし更新することにした。

以前からよく練られて筋の通ったちゃんとして面白い文章が時々投稿されるブログを見るたびに、このブログを毎日文字通り書き散らかさずに、ちゃんと数日間練ったエントリを投稿するほうが良いんじゃ無いかと思っていた。量ではなく質を目指そうかなと。(もちろん比較的な意味で)

でも、結局「毎日」という縛りが無くなると内容の向上どころかエントリ自体を書かなくなるような気もするし、そもそも人様に有意義な記事を提供できると考えるのがある意味で傲慢なのであるからして、自分の行動記録の意味でも書いておこうと開き直る事にした。

2008年06月02日

●ギャスパー・ノエ 「アレックス」 (2002/仏)

amazon ASIN:B0000896HM ギャスパー・ノエの「アレックス」を観た。
映画史上最長とも言われる10分以上にも及ぶ長回しのレイプシーンが物議を醸し、どちらかと言うとインパクト系の問題作として扱われる事が多いようだ。

幸せなカップルの二人と、その彼女の元恋人でかつその男の友人でもある男の三人がパーティーに行く。
彼女をほったらかしにして遊ぶ男に怒って一人で帰った彼女が地下道でレイプされた挙句顔を血みどろにされる。
その恋人と友人がレイプした男を探し出して復讐する。
という流れが時間的に逆に描かれる。つまり、最初にエンドロールが流れ、復讐を終えた所から映画が始まる。という構成である。

見ての通りストーリーとしては単純やけど、やたらと暴行シーンがエグい上に、時間軸を逆にしたり、揺れたり点滅したりするカメラで、直接的にも間接的にも映像としての刺激がやたらと強い。正直ストーリーなんかどうでも良いように感じる。
評判どおりレイプシーンはエグかったけど、それ以上に執拗に顔を叩き潰す二つのシーンがたまらんかった。

ネットでは、アレックスと言う名前と最後にベートーヴェンのシンフォニー七番が流れるところで「時計仕掛けのオレンジ」と、「2001年宇宙の旅」の「スターチャイルド」のポスターでキューブリックとの関連性を主張する人がいたけど、私はそんな事は全く感じなかった。まぁ暴力を描いているところくらいは似てるとは思うけど…

邦題は「アレックス」やけど原題は「irreversible」つうことで、元に戻らない、取り消せない、逆にできない、ってな意味である。
元に戻らず、取り消せない、逆にはならない物語を逆から再生する映画である「irreversible」つうことで、中々凝っていると言えば凝っている。
でもまぁ逆から観た所で取り消せるわけでも、元に戻るわけでも、救いになるわけでも無いのは当然やね。

前作の「カノン」でエグい暴力とエゴと近親相姦という題材で「本人にとっては愛での救い」なぞという逆っぽいものを描いてしまう監督やというイメージを持った。
今回はカップルの間で膨らんで行く大きな幸せが、とてつもない不幸に見舞われて一瞬にして破壊される様が時間的に逆から描かれて、「時は全てを破壊する」というメッセージがでかでかと掲げられる。
恐らくこれが監督の言いたい事の一つなのやろうけど、通りがかりの女をレイプする男の破壊はもちろんの事、彼女をほったらかしにして遊ぶ男、怒って一人で帰ろうとしていかにも危ない地下道を通る女、などなど、大小はあれどちょっと気を使えば避けられたはずの事も、ちょっとした人間の愚かな行動がタイミングよく積み重なって破壊を招き寄せたわけで、「時は全てを破壊する」よりは「愚行は全てを破壊する」なんじゃねえの?と思った。
しかし、R18指定にしてもモザイク無いやん…

2008年06月01日

●カレーは別腹とヲタ属性は無関係

この日曜は朝に家で映画を観て、昼に映画館に行き、夜にも「日本誕生 」のDVDを軽く観ようと思ったけど、観初めてから余りにも長い映画だと言う事に気付いて観るのを止めた。
先週の日曜日は朝がスパゲティー、昼は蕎麦、夜にうどんと三食麺やったけど、この日曜は朝昼晩に映画つうことで、最近の日曜日は何かしら極端に走りがちである。

そういえば、今のように職場にお弁当を持って行っていない頃は、お昼にカレーを食べて、家に帰ったら晩御飯がカレーで、次の日の朝ご飯も前日のカレーの残り、当然その日の昼ご飯も「ええーい」とカレーを食べて、四食カレーと言う事がよくあった。
「カレーは別腹」と言うくらいにカレーが好きなので、その頃は「カレーが好きやから」ということで理解していたけど、それにしても流石に四食カレーは常軌を逸している。
私にはそう言う極端から極端に走る傾向があるのやろうなぁと今更ながらに意識した。まぁ一般的にそれをヲタ属性と言うのやろうけど。
と、そんなことを思った六月初めの日曜日であった。