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2008年04月30日

●長蛇の列/欲望/クラウス・キンスキー

次の日からガソリンの価格が上がると言う事で、何処のガソリンスタンドも長蛇の列だった。そんな車の群れの横を自転車で駆け抜けて行くのは一寸した体制への反抗気分でもある。
長蛇の列に並ぶと言う時間的な損失を金銭に変換して考えてみるとどれだけになるのだろう?こんな急激な物価上昇に見せかけた増税で暴動が起こらない国は平和だなぁと思う。

『カラ兄』を読み終わったので、しばらくはひたすら映画を観まくっている。ということでヴェルナー・ヘルツォークの映画を借りて来た。
クラウス・キンスキーなる役者が良い感じだ。欲望をストレートに表現してその充足に全力で突き進むのに、全体としてはストイックな雰囲気を感じられるところが何とも魅力的である。
人間の中に混在する欲求を全体として見ればやはり矛盾や対立ばかりの混沌と見える。一つの欲望は別の一つの欲望と対立するし、一つの欲望の追及は一つの欲望の放棄でもある。またある人の一つの欲望が、他の全ての人の欲望と対立する事もある。
しかし、一つの欲望だけを良く見れば、それ自体はとても純粋なものであるだろう。それが否定されるのはそれが他の欲望の利害や理念と対立するが故でしかない。
その欲望自体の純粋さというところをキンスキーはよく見せてくれるように思う。自分の欲望を妙な理念や嘘臭い使命にすりかえたりして表現せず、欲望のままに見せてくれるところが良い。そしてその欲望は我々の眼には「狂気」として映るようになっているところが素晴らしい。
「愛のなかには、つねにいくぶんかの狂気がある。しかし狂気のなかにはつねにまた、いくぶんかの理性がある。 」というニーチェさんの言葉がよく似合う。
まぁ、キンスキーの場合、愛は「征服」と見えるのやけど。

この日か前の日くらいから急に暑くなった。この日もとても暑い熱い日だった。

2008年04月29日

●「春にして君を想う」 (1991/アイスランド=独=ノルウェー)

amazon ASIN:B000197MOW 「春にして君を想う」を観た。三国合作と言う事になっているけど、映画の中の舞台もアイスランドで、オリジナル音声もアイスランド語であり、当然アイスランド映画と言う事になるのだろう。
「アイスランド映画」を観たのは恐らく初めてであるけど、この非日常が当たり前のように混入された静かで不思議な雰囲気がアイスランド映画なのだろうか?私の中でアイスランドといえばビョークなのやけど、なるほどビョークっぽいと言えばビョークっぽいかも。

ストーリーは訳あって都会の老人ホームに収容される事になった80才を控えた老人が、老人ホームで再開した幼馴染の女性の願いをかなえるべく、貯金を全て下ろし、スニーカーを買い、老人ホームを脱走し、ジープを盗んで、今は人が住まない自然に包まれた故郷の島を目指すといったもの。
邦題はちょっと微妙な感じやけど、アイスランド語の原題の英語訳は「Children of Nature」でまさにそんな感じである。

殆ど言葉を交わさない老人二人が、アイスランド特有?の木が殆どない何処までも続く草原とお花畑のくらくらする様な景色に何とも映える。
一見景色と音楽の美しさを愛でる映画だという感じやけど、明らかな非日常に突入した後半からの雰囲気が何とも変なポイントを直撃しまくりである。老人が慣れた手つきで鋸を引き、カンナをかけ、釘を打って棺桶を作るシーンはなんともたまらん。

感動しているわけでも悲しい訳でも無いけど、なんか妙に心を揺さぶる良い映画であった。

2008年04月28日

●パンを食べて時を想う。

毎日毎日代わり映えのしない日々を送っているといつの間にか時間が過ぎていっているような感覚になる。
時間てのは周期的に繰り返しているものではなく、一方向に不可逆的に過ぎていくものやけど、流れ去って行く中にも週やら月やら年といった周期的な区切りをつけることで、無限に発散してゆくだけであるはずの時間を周期的な切り替わりとして感じたり意識する事が出来ているのは中々に凄い事やと思う。
年末から正月にかけて、古い年が終わって新しい年を迎えるという時期が一年の切り替わりを意識する一番分かりやすい時であるけど、私の場合はその年初めての海で泳いだ時、その年初めての魚に銛を撃ち込んだ時も、一年間生き延びてきた。と強く意識する瞬間でもある。
世の中には花や動物や魚、食べ物から服から町並みまで、我々の季節の切り替わりを意識させるものは人によっても場所によってもたくさんある。月見バーガーで秋を感じる人もいれば、浅瀬に群れる鯉を見て春の終わりを感じる人もいる。
でも、ただ季節や一年が経過した事だけを意識するのではなく、周期としての年の切り替わりを、何かしらの意義のある年の積み重ねとして、歴史的な経過として強く意識させる事ってのはそれほどあるものじゃないなぁと思いながらパンを食べまくった日だった。

2008年04月27日

●トニー・スコット 「エネミー・オブ・アメリカ」 (1998/米)

amazon ASIN:B0009Q0JZ6 某毒舌紳士からフルメタルジャケットの換わりに貸してもらった第二弾のエネミー・オブ・アメリカを観た。
国家安全保障局の高官が、盗聴やら監視を合法化する法案に反対する議員を殺した現場をたまたま写していたビデオを巡って、一般市民の弁護士が陰謀に巻き込まれてゆくというもの。
流石に膨大な予算を使っている国家安全保障局というだけあって、一般市民相手に犯罪の濡れ衣を着せるわ偽情報を流して評判を落として貶めるわ、衛星やら発信機を使って監視しつつ追い詰めてゆくわ、と高官と技術的サポートのヲタ集団のやり口が中々エグい。

主人公も大概な事になってかわいそうやったけど、それよりも巻き込まれて散々な目にあうイタリアンマフィアが余りにもかわいそうだった。もっと何とかならんかったのかと思う。

当時は中々に最新鋭の情報と機器を使った映画やったんやろうけど、流石に今見るとちょっと古臭い気もする。
冒頭で殺害シーンを録画していたビデオをコンピューターのPCカードのディスクにコピーするシーンでチラッと映っていたワークステーションがULTRA10だったのはちょっと嬉しいながらも、あー古いなーという感じやった。

孤高の愛すべきハッカー系バカ映画の最高峰「サイバーネット (1995/米)」 」とは違い、笑いの要素というかB級の要素が余りにも少ないので、時代に取り残される映画になるんじゃないだろうか。と思った。

2008年04月26日

●「チャイルド・プレイ2」 (1990/米) / 「チャイルド・プレイ3」 (1991/米)

amazon ASIN:B00163IIT0 amazon ASIN:B00163IITA ミッキーよりチャッキーということで、「チャイルドプレイ2」と「チャイルドプレイ3」を立て続けに観た。

2は1での2年前の事件で評判の落ちたグッドガイ人形の人気を取り戻すため、チャッキーの乗り移った人形を復元して問題がない事を証明しようとするけど、人形と一緒に復活したチャッキーは次々と人を殺しながらおもちゃ会社から逃げおおせて、虎視眈々とアンディーを狙う。
最後のグッドガイ人形工場での決闘シーンが中々に良かった。「チャッキーとチャッキー工場」ってところやね。
3では2の8年後の物語、2での事件以降生産を自粛していたグッドガイ人形の生産を開始し、例のごとくチャッキーまで復活させてしまう。チャッキーはアンディーを狙って彼が入った陸軍学校へ行き、アンディーの替わりに別の子供の体を乗っ取る事に決めたものの、そうはさせまいとするアンディーと対決する。
鬼教官と陸軍学校とチャッキー言う事で「フルメタルチャッキー」と言うところだろうか。

2での最後のチャッキー工場での決闘が中々良い感じであった。チャッキーを作る工場のギミックでチャッキーがやっつけられると言うところが中々良い。やっつけてもやっつけても復活してくるチャッキーが中々に笑えた。

3は兵学校と言う事で銃器と爆薬を使ったチャッキーの殺戮とチャッキーとの対決を期待していたのやけど、模擬弾と実弾を入れ替えてみたり、ゴミ収集車に人をおびき寄せて見たりと中々に姑息。最後の対決シーンは遊園地という事でちょっと不可全燃焼やけど、チャッキーの凶悪な顔と笑い声が多くて面白かった。

結局、チャイルドプレイシリーズは、チャッキーの凶悪な顔と、人を殺すときの余りの楽しそうな様と、殺す度にする高笑いのプリティーさを楽しむ映画なのだと思った。

2008年04月25日

●ヴェルナー・ヘルツォーク 「アギーレ 神の怒り」(1972/独)

amazon ASIN:B00005NO7E  私の生まれた年と同じ年に公開されたドイツ映画、ヴェルナー・ヘルツォークの「アギーレ 神の怒り」を観た。

インカ帝国を征服したピサロの探検隊は、アマゾンの奥地にエルドラドが存在すると言う噂を聴きつけて、1560年、ペールーの高原からアマゾンの奥地を目指していた。
行軍は困難を極め、退却か進軍かの瀬戸際で斥候と食糧調達のための40名からなる偵察隊が派遣される。その副隊長アギーレは任務を放棄して謀反を起こし、この分隊だけでエルドラドを征服するべくアマゾンの奥へと突き進んで行く。と言う感じのいわば「水曜スペシャル」的なストーリー。

タイトルを見る限り「神の怒り」が征服者であるコンキスタドール達に降りかかるという感じのストーリーを予想していたのやけど、実際のところはそんな簡単な映画ではなかった。
コンキスタドール達の思想的背景としてキリスト教布教という名目があるため、キリスト教徒であるコンキスタドールが反撃してくる先住民に対して行う熾烈な略奪や征服行為は、キリスト教徒に牙を向くキリストを知らない野蛮人たちに対する神の怒り。と正当化される理由になるわけである。

冒頭の砲や御輿を担いで高原地帯を行軍するシーン、そして山を降りた後もバタバタと倒れて行く奴隷の先住民たちを見捨てながら、同じく御輿を担ぎ、砲を引いてぬかるむ湿地帯を行軍するシーンに圧倒される。
コンキスタドール達の装備と奴隷として従う先住民達の服装、そして御輿に乗って彼らと行動を共にする女性達の明らかに探検隊とは思えない服装。これらとアンデスの高原、そしてアマゾンの原生林が妙なコントラストを醸し出していた。

殆ど台詞も効果音もない静かな雰囲気やけど、最初から最後まで張り詰めた狂気じみた空気に包まれていて何とも緊迫した雰囲気だけに、何度も繰り返される冒頭の荘厳な音楽と、先住民が吹く笛の音が余計に効果的やった。

傀儡の王を立ててエルドラド国を宣言したアギーレの狂気と暴走を原動力に分隊を乗せた筏はアマゾンを下るのやけど、どこからから毒の吹き矢や弓を射かけられて一人ずつ殺され行き、流域の先住民からは「肉が来た!」と喜ばれ、食料は底を尽き、傀儡であったはずの王が暴走したりと中々にトラブル続き。

着飾った女性を伴い砲を引いて、キリストの名の下に先住民族を征服するべく原生林を探検するといった今から見れば余りも滅茶苦茶な発想と、何処から食人族に矢を射かけられるか分からないアマゾンの密林の不気味さ、そして内部分裂する分遣隊といった中々の重層構造をもったストーリーである。
しかし私にはそのストーリーとは別に、「アンデス高原を下るコンキスタドール達」「密林に佇む軍馬」「リスザルの群れに囲まれるアギーレ」「死体を乗せて流れる筏」って感じの絵画的な映像の美しさが一番印象に残っているとても面白い映画であった。

2008年04月24日

●アリョーシャの微笑み

帰って『カラ兄』を読む。現在4部の半ばも過ぎ。アリョーシャは既に僧院を出ており、ミーチャの裁判が始まったところぐらいである。
アリョーシャが色々なものに対して微笑む記述が出てくる度に、なんとも胸が締め付けられる。私も色々なものに対して微笑みを向けたいと読むたびに思う。
自転車に乗って切る風に、雨降りの空に、寿命を全うして壊れたモニタに、そして何よりも私と関わりのある全ての人に対して。

アリョーシャとコーリャが恥ずかしがりながら語り合うシーンがたまらなく好きだ。読むたびに感動を抑えられない。そしてアリョーシャがコーリャに言ったように「不幸な人生を全体としては祝福する」ということが本当に可能なのだろうか。と読むたびに思う。
おそらく、祝福することと幸不幸の間には関わりが無いということなのだろう。幸福であることが勝利でも善でも無いのならば、不幸であることは罪でも悪でも敗北でも無い筈だ。
人生を祝福し、人生に対して微笑むことが出来るのが、どれだけ素晴らしいことかと思った。

しかし、読むたびに思うということは、逆から言えば、読んだ時にしか思わないということでもある。
『カラ兄』を繰り返し読むという事はこう言う事でもあるのだろう。
かくのごとく醜い私も、少なくとも、この一瞬でもアリョーシャと同じ気持ちになったのだ。

2008年04月23日

●相米慎二 「台風クラブ」 (1984/日) 

amazon ASIN:B00005L96G 先日「逆噴射家族」の工藤夕貴のぶっ飛んだ演技を観てこれはぜひとも彼女の代表作である「台風クラブ」も観とかんと!ということで観た。

何の変哲も無いように見える中学生たちが、数学教師の大人としての醜さを見せ付けられる事を切っ掛けにして何かが変わり初め、巨大台風が来るのを引き金にして日ごろの不安や抑圧された何やかやが爆発して狂気へと突入する。と言うもの。

1985年の第1回東京国際映画祭ヤングシネマ部門の大賞受賞ということもあり、始まった直後は「うわーこれ観てるだけで恥ずかしい映画ちゃうん?」と言う感じやったけど、だんだん不穏な空気が流れ初めて面白くなって来た。

工藤夕貴の演技を期待して観たのやけど、彼女のぶっ飛び加減だけでなく、大人の醜さ満開の三浦友和やら同級生に襲われて怯え狂う大西結花、暴走して止まらなくなったり、思いつめに思いつめたり、意味もなく感情を暴走させる生徒達も中々良い感じであった。
総じて、出てくる中学生達の、自分自身というものを意識し始めて、自分はかつて何者でもなかったし、今だ何者でもない、物質的にのみ満たされているが故の不安や危うさが、何とも懐かしさを覚えるほどにリアルやった。
中でも「好き」という感情をどう表現して良いか分からず、好きな相手に迫れば迫るほど相手の生理的な拒否反応と恐怖と嫌悪をより強くするだけという、いかにも中学生らしい救いの無い破滅へ向かう言動が何とも怖かった。

長回しが多くて淡々とした印象を受けつつも、中々に衝撃的で面白い映画であった。

2008年04月22日

●チャッキーの呪い

数ヶ月くらい前から家のCRTのモニターが使用中に「バシッ」と電源が一瞬切れて直ぐにつくような事が起こっており、そろそろ壊れそうやなぁと思っていたのやけど、先日丁度「チャイルド・プレイ チャッキーの種」のエンドロールあたりで「バシバシバシッ」と数回フラッシュした後に電源が切れて二度と入らなくなり、完全に壊れてしまった。
壊れたと言っても壊れ方からどうせコンデンサかFETが焼け切れたぐらいの話やと予想できるから、それを半田ごてで張り替えればば直りそうな予感なのやけど、今更壊れたCRTを直してまで使うのもいただけないような気もする。どうせなら液晶モニタを買おうという気になって来た。
ということで、新しいモニタを買うまで、デュアルモニタの片割れとして使っていた、焼き付のあるとても古いSUNのCRTがメインモニタに昇格したのやけど、こいつのフォーカスがやたらと甘くて異様に字が読みにくい。早くモニタ買わなければ。

しかし、チャッキーの呪い恐るべし…と言う感じやけど、逆に言えば最後に映っていたのがチャッキーと言う事でこのモニタも満足であろう。合唱。南無阿弥陀仏。

と言う事で、いらない液晶モニタをお持ちの方はぜひ土偶まで!
(そんな人おらんか…(-_-;)

2008年04月21日

●「チャイルド・プレイ チャッキーの種」(2004/米)

amazon ASIN:B000BS4WDM チャイルドプレイシリーズでは5作目になるのやけど、レンタル屋さんに行っても2と3は貸し出し中、4は取り扱いなしと言う事で、人気あるんだかないんだか…まぁええわ。と観た。
1から4まで脚本を書いてきたドン・マンシーニなる人物が初めて監督した作品でもあり、1から2、3、4を飛ばして5である本作を観たのでチャッキーに妻はいるわ子供はいるわとストーリーの飛躍に戸惑ったけどまぁすぐに慣れた

殺人を誇れる自分の存在理由として捉え、子供を息子として立派な殺人鬼に育てたいチャッキーと、殺人を忌むべき依存症と捉えて、その子供を娘として穏やかな性格に育てたいその妻、そして自分が何物なのかにひたすら悩み続けるその子供のおりなすホームドラマであった。
顔に縫い目のあるチャッキーの風貌は凶悪になってたけど、1の時の笑える殺人鬼ではなく、ひたすら下品なだけの殺人人形になっていたのが残念。
ついつい人を殺して後悔しているチャッキーの妻は余り笑えない…

「サイコ」のシャワーシーンや「シャイニング」のドアの穴から顔を覗かせるジャック・ニコルソンなどのパロディー要素が多く、また私には分からんけど、ネット上では声優やら登場人物が中々にカルトらしく、「チャッキーシリーズ」やホラーの同人的な雰囲気のある作品なのだろう。

でもまぁ全然詳しくない私にも笑える要素は結構あったし、チャッキー出てればええやーと言うところだろうか。

2008年04月20日

●似非ピスト黄色度UP/赤く光る酒

朝から自転車を三台洗い、(似非)ピスト君のハンドルを前日にホームセンターで買って来た30cmのステンレスパイプに交換して黄色いバーテープで巻き巻き。すっかり今風の(似非)ピストになった上に黄色度UPである。

hikarukakuteru.jpg光るカクテルなるものを初めて見た。とは言ってもカクテル自体が光るのではなく氷状の発光体が入っているだけなのだが、透明度の低いカクテルだったので、よけいに液体自体が光っているように見えた。
これを口の中に入れてみたい衝動を抑えるのにとても苦労した。
構造としてはLEDが内蔵され、トランジスタのスイッチング作用で外に出ている電極が水分で通電すると回路に電気が流れてLEDが光るようだ。しかし、何でも考えるなぁ。と感心した日曜日。

2008年04月19日

●レッド・プラネット (2000/豪=米)

amazon ASIN:B00006AFZK 以前、某毒舌紳士氏に我が語彙のバイブルとばかりに「フルメタルジャケット」をお貸ししたのだが、「そんなのは観るに耐えん」とばかりに帰ってきて、換わりに貸して頂いたDVDの一つがこの「レッドプラネット」である。

公開当初はキャッチフレーズの「もし~なら」の三連続で観る前からネタバレのグダグダだったらしいけど、私の場合は予備知識全くなしで観たので「ええ~っ」と結構驚いた。

ストーリーは環境汚染が進みに進んで人が住むのが難しくなってきた地球から火星へと移住するプロジェクトの一環として、火星に酸素を含む大気を生成させるべく藻類を繁殖させていたのだが、どうもうまくいっていないらしく、その原因を調べるために数名のスペシャリストからなるプロジェクトチームが火星への初の有人着陸を試みるというもの。

ネット上で見る限り、ハードSFを愛する人たちからはぼろくそに言われていたけど、宇宙好きではないけど科学好きではある私からすれば、何とも硬派な渋いSFであると感じた。
一応彼らの任務は地球や人類を救うプロジェクトの一環ではあるけど、誰ぞの為に!等と言う無駄なラブロマンスも、友の為に!という熱い友情も、地球の為に!という正義感もなく、登場人物達はクールに理性的に振舞っていたのがとても好感を持てた。
ネット上の悪評とは裏腹に、私にとってはストーリーとしても宇宙船やロボットや小物の造形としても中々に映画らしい王道を行くような、熱中して観てしまうとても面白い映画であった。

2008年04月18日

●石井聰亙 「逆噴射家族」 (1984/日)

amazon ASIN:B00005J49G 昔から「好きな映画は?」と聞かれた時に答える事にしている「逆噴射家族」を久しぶりに観た。

念願のマイホームを買った主人公は、ちょっと変わった家族とハイテンションな幸せに包まれていた。そこに郷里から父がやって来て何かが狂い始め、家族それぞれの内に秘めた狂気が暴走して家族内の戦争へと突入して行く。

中盤までは結構淡々とした雰囲気で話は進むけど、突然狂気が暴走する。深夜枠でのテレビ放送でカットされていた音声もDVDなのでもちろんばっちり聞こえる。
東大を目指す、オーディオとピラミッドパワーオタクの有薗芳記、女子プロレスとアイドルを目指す工藤夕貴の二人の子供の醸し出す雰囲気が特に良い感じであった。

家庭内戦争勃発後の家族五人のそれぞれの個性を活かした装備と戦いぶりが可笑しい。
初めて観た時はとても音楽が印象に残っていたのやけど、今見ても中々印象深い音楽であった。音楽と言うよりは効果音的である所がより良かった。

他者の存在を全く感じさせない異様なまでの清潔感のある最後のシーンは、独特の音楽とあいまって何とも筆舌に尽くしがたい美しさであると思う。

でもまぁ、こう言う風に家族に対して自分をストレートに出す事が出来れば、最終的に最終的なところでは踏みとどまれるのだろうなぁ。と。良い家族だなぁとしみじみ思った。

この映画の娘みたいな感じの、猫被りつつぶりっ子しつつキレているふりをする根本的にイタい少女という中々に複雑な演技をさせたら右に出るものはいないと思う工藤夕貴なる人物が大好きなのであるけど、「SAYURI」に出ていた彼女を見ても「おっ、いつ逆噴射するんや?」とずっと思っていたくらいに、私の中でこの映画の影響が強いのを感じた。
ぜひ彼女の代表作である「台風クラブ」も観ねば!

2008年04月17日

●ダウナー系の雨の日

本年度最後の「百二十の瞳(推定)」はなんだかざわざわとしていて不完全燃焼で終わりとても残念。「悪いのは俺じゃない」と責任転嫁したくなる気持ちをぐっと抑えて、何かしらの自分の問題点を見つけて何かしらの糧に転化するしかない。
ちゃんと聴いてくれていた諸氏にはとてもとても申し訳なかった。

仕事後に「ほにゃららサーバー構築お疲れ様会」に参加してスキヤキと水炊きを食べまくる。鍋奉行を仰せつかり「よいではないか」を無駄に連呼していたが直ぐに飽きた。余りにも食べ過ぎて体の動きが遅くなるくらいの勢いであった。
普段余り喋らない同業者(一応)と喋るチャンスでそれなりに期待していたのやけど、なんだかそんな空気ではなかったのが、ちょとだけ残念であった。でもまぁとても楽しかったし良いねんけどね。
帰ってブログを書き、カラマーゾフの第三部を読んでしまう。いよいよミーチャの裁判が始まった。

激しい雨に打たれながら自転車に乗っていると妙に謙遜な気持ちになってくるのはなぜだろう。
最近自分自身の攻撃性や傲慢さや気分の変わりやすさを感じたり意識したとたんになんともやりきれなくなる事が多い。自分の醜さに絶望的な気分になる。
しかし、そう言う事を感じるたびに、そうならないように少しずつ前進して行くしかないのだろう。
雨の中を自転車で走っていると特にそんな事をいつも以上に深く意識してしまう、朝から晩まで雨が降りっぱなしの日だった。

2008年04月16日

●「墨攻」 (2006/中=日=香=韓)

amazon ASIN:B000R17JM4 最近ちょっとしたヘタレブーム?ということで、ヘタレ城主が出て来るらしい「墨攻」を観た。

大国「趙」に攻められつつあり、国家存続の瀬戸際にあった小国の「梁」は、思想集団であり防衛戦のスペシャリストでもある墨家に援軍を求めるが、やってきたのは自称墨家の革離という男ただ一人。
革離は「趙」の10万にも及ぶ軍に対して、余りにも少ない四千の民を率いて篭城戦を戦い抜く決意をする。という感じで話は始まる。

むぅ、確かに城主のヘタレっぷりは見事であった。一人で援軍に来た革離が人民から好意と信頼を自分以上に寄せられると疑心暗鬼になって、彼を王位簒奪の疑いありとして城から追い払って矢を射掛け、彼に好意を寄せていた国民を処刑場に送る。
口だけは強気で、大事な決断は酔っ払った状態でないと出来ないし、そのうえ自分の力では国を守る事が出来なかった。

結局「梁」に対しては墨家の軍師一人だけしか援軍が来なかったけど、逆に言えば周りの国に見捨てられているとも言える。確かにこんなヘタレ城主のいる国にはどの国も援軍なんか出さんやろう。墨家の軍師一人でも十分過ぎるくらいに十分である。

しかし、城主がヘタレであればあるほど、主人公の革離が引き立つと言うもの。
彼の籠城戦での防衛戦略は、知略と言うよりは奇策と言う感じがしたけど、それでも見事に敵を撃退する様は爽快であった。
やっぱり攻城戦は男のロマンである。破城槌、雲梯が出てくるだけでワクワクである。

こういったハデハデな強攻的な攻城戦も良いけど、兵糧攻めの上に、死体や病人が投石機で城内に投げ込まれ、栄養失調と伝染病とでじわじわと追い詰められてゆくような感じの、限りなく暗くてジメジメした包囲戦の攻城戦を描いた映画も一度観てみたいと思った。

墨家は一応思想集団であったはずやけど、革離は思想家と言うよりは理念と現実の狭間で悩む好青年といった趣であったのがちょっとだけ残念であった。

この映画に明らかに含まれるであろう、戦争は全て不毛であるとか、関わったもの全てが不幸になる。とかいったメッセージ性を一切無視した感想でした。

2008年04月15日

●どうでもいい真偽判定はネタ要素を大いに加味すべき!

仕事帰りにラーメン部長を差し置いて突発的ラーメン小大会に参戦。何とも良い感じの高校生的ラーメン小大会であった。最近こう言う感じの食べ会が多くて良い感じ。
「よいではないか」が小ブームの予感。その他にも…でも最近ラーメンばかり食べているような気がする…

自分にとって殆ど関わりの無い事について、やたらと錯綜していたり、無駄に矛盾ばかりが露呈する情報のなかでどれか一つを採用したり何かしらの推論を採用する場合は、一番真実らしく思えるものよりも、一番エグくて笑けるものを採用しておけばよいではないか。
どれを選んだところで真実など判りそうに無い上に、どれが真実であったところで自分には殆ど全く影響が無いのやから、せめてネタにはしとかんと。
よいではないか…

2008年04月14日

●過剰摂取も無駄遣い

仕事帰りにお好み焼きを食べて、その後にスタバでコーヒーを飲んだ。
一日が終わろうとするところに、更に半日分くらいの有意義さは加わった気分。
久しぶりに飲んだスタバのコーヒはやっぱり美味しかった。店の雰囲気とかカップとか調度品ではなくコーヒの味のみで勝負しようとする意気込みは中々潔いと思う。しかし、一点集中で勝負するほどのレベルなのか?そこで負けてしまったらどうするのだろう?などと要らぬ心配をしたりもする。
外食する機会が劇的に多くなって摂取カロリーが増大したせいか、それとも冬眠明けの小動物のようにやたらと食物を摂取するせいか、最近なんだか太って来たような気がする。

情報というものは多ければ多いほど良いと言うものではない。というのはこの業界の常識であろう。
私にとって何の関わりも興味も持て無い情報は知るだけ無駄である。この歳になれば、ある程度何がこの先自分に関わりがあり何が自分に関わりがないか、或いは又、何と関わり何と関わるべきではないかのおおよその目安がつくはずだ。
人間の記憶や処理の能力は有限であるから、自分に関わりの無い事を情報として自分の脳に処理させるのは無駄であろうと思う。

時間的な意味でも空間的な意味でも精神的な意味でも、どうでも良い事に自分を費やす時間があれば、もっと、自分にとって有意義であろう(と思われる)事にちゃんとエネルギーを使いたいものだと思った。

2008年04月13日

●チャイルド・プレイ (1988/米)

amazon ASIN:B000QTEBM8 「ミッキーよりもチャッキーの方が好き」というなかなかに心温まる台詞を某レディから聞いたので、それはぜひとも観んと、と言う事で観た。

今まで殺人人形である「チャッキー」とそれが出てくる映画の「チャイルドプレイ」の存在は知っていたけど、ちゃんと観たのはこれが初めて。
殺人鬼の霊が乗り移った人形が復讐と凶暴な欲求に従って人々を襲って行くという身も蓋も無いストーリーである。
明らかにホラーやと思っていたのやけど、チャッキーが意思を持っている事を大人が知らず、それを知っている子供は妄想や虚言として片付けられるといったチャッキーの思う壺なところ、前半半分はチャッキーが暴れ回るシーンが無いというところは、中々にサスペンスな作りであった。

ストーリーはサスペンスやけど、チャッキー自体はどうしても笑えると言うところがこの映画のポイントであろう。

チャッキーの凶悪で精悍な顔つきからイメージするに、真正面から刃物で向かって行くのかと思っていたけど、不意打ちで噛み付いたり、後ろから刺したり、ガス爆発させたり、感電させたり、また人形である小ささを生かしてコソコソ物陰に逃げ込んだりちょこまかと走り回ったりと中々に姑息で良い感じ。

チャッキーが凶悪な形相に豹変して、人に襲いかかったり口汚く罵る度に笑わずにはおれない。中でもチャッキーが火達磨になって暴れ回るシーンで笑いが止まらなかった。あひゃひゃひゃ。お腹痛い。

いやしかしチャッキーおもろいなー。これはぜひ続きを見ないとね。

2008年04月12日

●平野神社/パゲでなくデコ

hiranojinja.jpg生まれて初めて平野神社に行った。参道というか境内というかが特設花見会場になっていて何とも微妙。
色々な種類の桜があって中々良い感じだっただけにとても残念である。いや、酔い潰れて累々と横たわる酔っ払い共を見たが故に、余計に桜が綺麗に見えたのかもしれない。

社格は官幣大社であるそうやけど、その割に中々地味な神社であった。桜の神紋が幼稚園の「さくら組」のようで中々微笑ましかった。

髪の毛を結構短くした。パゲでなくデコであると言張ろうと思う。

2008年04月11日

●「ウェズリー・スナイプス ザ・シューター」(2007/米)

本当に久しぶりの友人と会った。一緒にラーメンを食べ、コーヒーを飲み、どうでも良い話をダラダラ。
彼のすっとぼけぶりは相変わらず健在、「現在の仕事はベンチウォーマー」という自虐っぷりも相変わらず。あひゃひゃ。

amazon ASIN:B000T7QCYC 某ごら氏が見た「ウェズリー・スナイプス ザ・シューター」を私も観てみた。
観る前から「ザ・シューター/極大射程」と比べて失敗した。全てが激しく微妙。主人公ヘタレですわ。などと散々な評判を聴いていたのでワクテカしながら鑑賞。

なんとなくパッケージや邦題からスナイパーを連想させようとする意図を感じたけど、確かに主人公はダメダメなヘタレの殆ど発砲しないシューターである。
いきなり冒頭で馬に振り落とされてそのダメダメっぷりを予感させるのだが、任務ではファーストチャンスで撃たず、セカンドチャンスで静止ターゲットをガラス越しに撃つといった、撃たれた瞬間に狙撃地点バレバレのダメダメ狙撃っぷり。銃も激しくカスタムしたM16と何とも弱気で微妙。いざとなったらフルオートとでもいうつもりだろうか。最後の方では「弾に当たるクセがあってね」と自虐的な発言も…

そのなんともヘタレな、陰謀に巻き込まれたらしい、CIAなんだか軍の特殊部隊なんだか良く分からない所に所属する主人公の逃走劇が映画の主な内容になるわけやけど、結局主人公は逃げ込んだ隠れ家の近所に住む、何にでも首を突っ込みたがる、オテサーネクの少女に似た、トラウマを抱えた嘘つき非行少女に頼り切って助けられるのであった。

狙撃系で陰謀系なアクション系映画と見せかけた、愛想もクソも無い主人公を助ける事で成長して行く少女を描いた、中々に心温まるヒューマンドラマであった…orz

2008年04月10日

●更新履歴

2008/04/10
●リンクに月兎耳を追加

2007/06/29
●リンクにSea of Nectarを追加
●「土偶について」を2007 初夏モデルに更新。
●やいのやいの言われるのでGoogle AdSense を初めてみた。

2007/02/17
●結構読んでくれる人が多いので「土偶について」を2007 春モデルに更新。(服屋さんみたい)

2006/10/21
●カレンダーを月送り可能な物に変更。
「土偶について」も秋-冬仕様に更新。
インデックスページをカテゴリ「about」が表示される仕様に変更

2006/07/02
●リンクに小さな哲学~雑想の世界を追加
「土偶について」も夏仕様に更新。

2006/06/05
●リンクにカリコンテンツを追加

2006/05/末日
●BlogTimes設置した以外にも色々更新したような気がするが、忘れた…

2006/03/08
●携帯版「土偶StaticRoute」を設置。
URLはhttp://dogu.no-ip.org/i/

2006/02/23
●リンクに43's logを追加

2006/01/23
●リンクにきっこうドットネットを追加

2006/01/20
●リンクにHIMMEL画伯アニメ劇場を追加

2005/12/16
●サイドメニューに「Recent books」を追加(土偶謹製mt-grisbnによる)
●バナー画像がランダムに変わるようにした。

2005/12/10
●MovableType3.151-ja
●文字コードはUTF-8 テンプレートは「小粋空間」の物を大幅に改造して使用。
●デフォルトの出力ファイルを.phpに。
●追加プラグインは CatEntries、FilterCategories、Collect、blogtimes、mt-isbn
●サイドメニューとバナー部は「テンプレートモジュール化」と言われている方法でPHPでincludeする
●バナー部の$MTBlogDescription$の位置に、設定した文字列がランダムで表示されるようにした。
●htmlの<head>~</head>部分は「テンプレート・モジュール」として作成し、
< $MTInclude module="~" $> として読み込む
●Mail2Entryを改造してカテゴリ指定、追記可能なMoblogを実装
●カテゴリ「about」をインデックス、カテゴリリスト、リーセントエントリーで非表示

とりあえずMovable Typeでblog設置してみた。
ちょっと古めバージョン3.151-jaで。
無理やりっぽくApacheのNameVirtualHostでドメインルートに動かしたけどちゃんと動いた。
最初は最新バージョンの3.2-2-jaで作ってみたけど、なんかmail2entryで実装したmoblogが動かん。Pythonのモジュールからxml-rpc叩く時にログインの段階ではねられてる。3.151-jaに戻すと問題なく動くのでしばらくはこのバージョンで。
xml-rpcのAPIの仕様変更だろうか?コード見てデバッグする元気はなかった。

●岡本喜八 「近頃なぜかチャールストン」(1981/日)

amazon ASIN:B0009S8G0O 最近近所のレンタル屋さんにようやくにして入った岡本喜八作品である「近頃なぜかチャールストン」を観た。
今の日本国に幻滅して日本国民たる事を拒否して、はたから見ればどう見ても仲良しグループにしか見えない「ヤマタイ国」なる独立国家の閣僚である事を選んだ老人たちの、定年間際の刑事や金持ちのドラ息子への関わりが物語がコミカルなタッチで描かれる。

大きな価値転換に取り残されたと言うか受け入れる事の出来なかった「戦中派」である彼らの選んだ「ヤマタイ国」独立なる手段は、転換後の社会に対するささやかな抵抗であったり回答であったりを選択した結果なのやろうけど、余りにもチープな発想と手段であるが故に毒気を完全に抜かれているように見える。
しかしながら、独立国家の樹立なる発想は完全に今までの国家を否定して関わりの無いものだという道を選んだと言う事でもあり、実は完全な日本国の拒絶でもあるところがちょっと怖い。

とは言っても、老人たちの拒否した日本国への憎しみとか怒りであるとかは殆ど見えず、彼らの日本国からの独立は、牛乳泥棒であるとか新聞泥棒であるとかスリといった、日本国から見れば小さな犯罪行為で示され、彼らは日本国から見ても「不良老人」であるとしかみなされない。
終戦ショックでちょっと妄想が入った戦中派の老人の話は、現代的に言えば既存の価値や価値転換についていけない小集団での話、ともなるわけで、実はとても根の深い問題を扱っているとも言えないこともない。
彼らが提示する問題が馬鹿げていれば馬鹿げているほど、彼らの言動がおかしければおかしいほど、問題の根は深いという構造になっているわけやけど、しかしながらこの物語はそれらの問題に対する改善策やとか解決策をなんら提示しているわけでもなく、ただ彼らの周りからのズレっぷりとおかしさを描いているだけである。
物語の最後の最後までその「日本国」と「ヤマタイ国」の価値やら見方のズレは修正も融和も統合もされる事無く終わるのが中々に怖い。

と、激しく可笑しいほどに深読みして感想を述べて見ればそんな感じである。

と、今まで書いた事を否定するようでなんやけど、実の所この映画はただの妄想非行老人達のコントである。
岡本喜八の作品におおむね共通して言えるのではないか?と思う事やけど、映画自体は確かに面白い。
全体的にウィットと笑いに富んだ作りで、殿山泰司がハチマキを巻こうとしてつるっと滑るシーンは見るたびに笑えるし、アイスピックを使う凄腕の殺し屋と、特攻崩れの元ヤクザ田中邦衛の対決など娯楽的要素は盛りだくさん。
確かに面白いけど、これを映画として撮る必要が何処にあったのだ?と言う感じでもある。
まぁ、各家庭にテレビがあるわけでもなく、娯楽が映画位しかなかった時代の作品やからしょうがないと言えばしょうがないんやろうけどね。って、これ1981年の映画やん!

2008年04月09日

●「グッバイ、レーニン!」 (2003/独)

amazon ASIN:B0002VL6PU ドイツ歴代興行記録を更新するほどに本国ドイツで大ヒットしたらしい「グッバイ、レーニン!」を観た。

東ドイツでの政治活動に没頭する母が心臓発作で倒れて意識不明状態になり、次に目を覚ました時は八ヶ月もの時間が過ぎていた。
その間にベルリンの壁は崩壊して東西ドイツは統一されていたけど、余りにも東ドイツを愛していた母が真実を知る事で激しいショックを受けて心臓に負担をかけないように、息子はいまだ東ドイツは健在であると嘘をつき通す事を決意する。
息子が母を情報操作するために新ドイツの食品のパッケージを旧東ドイツのものと張替え、偽テレビ番組を捏造し、ニセ少年団を派遣し、周りを巻き込んでありとあらゆる手立てで大掛かりな嘘を吐き通す様がコミカルに描かれる。というものである。

確かに母想いの良い話なのではあるけど、ずっと嘘をつき続けるのは何か余り見ていて気分の良いものではなかった。一人でするならまだしも、その嘘のために余りにも多くの人を巻き込みすぎだし、結果として多くの人に嘘をつく事を強要している事にもなっている。
たとえ相手のためを思ったことであっても、真実を知らせないための嘘は、結局相手が真実を受け入れる度量が無いと低く見積もる事でもあるし、相手自身を信用出来ていないことでもある。と思う。

どうしても嘘をつき通す事が出来なくなった息子は余りにも離れてしまった現実と嘘との空間を埋めるために、最後に一つ更に壮大な嘘をつく事になるわけやけれど、結局それは彼自身の現実への願望でもあるようにも見えた。
日本人が終戦をどのような気持ちで迎えたかと言うのは立場や人や組織によって全く違ったように、東西ドイツの統一と言うような感じの事件は、マクロなレベルで見れば喜びでしかない話やけど、この映画のようなミクロなレベルで見れば悲劇を引き起こす原因でもある。という所は当たり前やけど忘れがちな感覚であろう。

彼の最後の嘘、つまりは彼自身が東西ドイツの統一と言う事実をまた別の方向とやり方で行われたものとしてニュースにしたように、何かしらの今まで自分のアイデンティティーになるほどのものが大きく根本から変わる時には、ただ現実を受け入れるだけでは余りにも辛すぎるので、何かしらの歴史解釈と言うか神話のようなものが必要なんやなぁとと思った。

しかし、それも厳密に言ってみればやっぱり嘘でしかない。攻撃的嘘、防御的嘘みたいなものがあるにしろやっぱり嘘は嘘である。
うーん嘘って何だろ。と思った映画でした。

2008年04月08日

●「120の瞳(推定)寄席」/「二条城」

毎年年度始め恒例の新入生に対する授業のようなもの、つまりは「パソコンの基本的な使い方の説明」という名の「120の瞳(推定)寄席」が始まったわけやけど、某キノコ先生の生暖かい視線が注がれる中で行ったのでちょっと緊張した。
例のごとく「雑談タメ口口調で喋りだしたらいつの間にか始まっている」な「噛み噛み系プレゼン」は冴えわたったけど、持ちネタの「こんなパスワードは嫌だ!」と客いじりの切れは悪かった。それでもクスクス笑いをしながらニコニコ聴いてくれる人もそこそこいたので余は満足である。まぁ、当然ながら私の満足よりも聴いてくれた人の満足の方が大事やねんけど。

仕事後に生まれて初めて二条城の中に入った。さすがに入城料を取るだけの事はあって中々によろしい感じであった。
場内の桜の殆ど全てがソメイヨシノではなく、それら色も形もさまざまの大量の桜がライトアップされている様は中々に見ごたえがあった。ライトアップつぅのはココを見ろ!ってところを照らすがゆえにその他の部分は暗くなっているわけで、見るべき所と見なくても良いところをハッキリ指定されると、見る側としてはなかなか楽である。
余りにも現実離れして、幻想的と言えば幻想的、不自然と言えば不自然やけど、これは昼に桜以外の所もちゃんと見たいぞと思った。

2008年04月07日

●ヴィットリオ・デ・シーカ 「自転車泥棒」 (1948/伊)

amazon ASIN:B000068RHJ 先々週の土曜日に見た「自転車泥棒」、殆ど「自転車」と言う単語だけに反応して観た映画で、1948年公開ととても古い。
息子と嫁を抱えた男が、やっと手に入れたポスター張りの職の為にシーツを質入した金で自転車を買い戻すも、仕事中に自転車を盗まれる。彼は息子と共にローマ中を盗まれた自転車を探してまわる。という感じの筋書き。

イタリアン・ネオ・リアリズモと呼ばれる作品群の代表作品であるらしく、主人公の男が息子と嫁に当り散らし、口だけは強気で無実の人や怪しいと言うだけの人に嫌疑を吹っかける様は観ていて感じが悪かった。そんな彼はとことんまで堕ちてしまうわけやけど、確かに彼のダメ男っぷりは痛々しいほどにリアルであり、戦争に負けて大恐慌がおこり、仕事を失った大人たちが街に溢れかえってぶらぶらしている「毎日がローマの休日(悪い意味で)」状態も妙にリアルだった。
それもそのはず、大好況の町並みは実際のロケで、職を失った男は実際の失業者の素人俳優を起用したと言う事らしい。

主人公たちは盗まれた自転車が部品単位にして売られていないかを探すために市内の市をうろつくのやけど、さすが自転車の国イタリアらしく、ホイールだけ、タイヤだけ、ダイナモだけ、サドルだけ、フレームだけなどと、露天でパーツ単位で自転車用品が商われているのに心躍らせる。ひゃー俺も行きたいー。

いずれにせよ、自転車泥棒に対しては異常なまでの怒りを覚える自転車馬鹿たる土偶であった。

そういえば今日、殆ど一年ぶりくらいに疎遠になっていた友人とばったり出会った。また別の友人が縄を張ってくれていたおかげでちゃんと彼と話す事が出来たし、彼は気にしていそぶりを見せてくれたながらもちゃんと詫びる事も出来た。
二人の間に綱を渡してくれた友人よありがとう。綱を離さなかった彼にもありがとう。
またラーメンに行ったり自転車に乗ったりしたいものだ。

2008年04月06日

●ミッドナイト…人酔い

midnight_nenbutsu.jpg天気も陽気も良い感じなので、三条から東山界隈を歩いていて知恩院の三門の横らへんに面白い看板発見。その名も「ミッドナイト念仏」である。
最近「ミッドナイト未亡人」なるDVDがレンタル屋さんにあるのが仲間内でネタになっていたこともあり思わず笑ってしまった。
携帯やデジカメを取り出して、国宝である三門や、三門前の階段に降り注ぐ桜吹雪や満開の桜を撮る人の中、私だけニヤニヤしながらこの看板を撮影。
そういえば、去年も私は円山公園で桜を撮らずに「野宿禁止」の看板だけを撮っていたような気がする…

amazon ASIN:B000XBELSI ちなみに「ミッドナイト未亡人」のパッケージはこんなん。ってこんな二つのミッドナイトを並べたら怒られるで…

円山公園の余りの人出で人酔いする。知り合いを何人も何組も見たが向こうは全然私に気付いていなかった。
私は伊達メガネをかけて薄黄緑のハンティング帽を被りコール天のピンクのジャケットという、普段からすれば殆ど変装レベルの落差がある出で立ちだったので当然と言えば当然かもしれない。
それでも、私が相手に気づかないものの私を見ていた知り合いもいただろう。
「花より団子」とばかりに団子のように一体化して桜の下で丸くなっているカップルにニヤニヤしたり、酔いつぶれて死体のように桜の樹の下に横たわっている酔っ払いが捨てられたように見えたり。
結局このあたりの人の多さに疲れ果てて早々に退散、四条で一息つこうとベトナム風コーヒーを飲んだのだが、殆ど溶かさずに底に溜まった練乳をぐいっと飲んでしまい気分まで悪くなってしまった…

帰って「グッバイ・レーニン」を観て『カラ兄』を読む。この日を持って第ニ部を読了である。

2008年04月05日

●バグダッド・カフェ (1988/独)

amazon ASIN:B00008BOFQ ラスベガスへ通じる砂漠の道の脇に立つ一軒のモーテルに、旅行中に夫と酷い喧嘩をして車を降りたドイツ女性がたどり着き、時間をもてあましてか、親切心からか、店を手伝った事を切っ掛けにしてゆっくりと何かが変わり初めて行く…というもの。
美男美女が出てない。一癖も二癖もある個性的な人物ばかり登場する。恋の鞘当も無く、誰も死なず、結局皆が幸せになる。一見ありがちやけど実は荒唐無稽な物語。山も無く谷も無く淡々としてるけど常にクスっとする部分多し。淡々としながらもほっこり。
ひたすら渋く、映画好きが好む映画と言われるのが良く分かる。

映画中で「浮き世の悩みも Magicで消える」という名台詞があるけど、Magicと言うところがミソなんやろうね。
映画中の物語をMagicとやたらと強調しておきつつ、途中で「皆仲が良すぎるわ」と刺青師を出て行かせるところがなかなかクールである。

決してスケールの大きい一級作品ではないけど、観終わった後、んー良い映画やったーと余韻を残す感じの、本で言うと短編の名作と言う感じであった。

2008年04月04日

●ウォルター・サレス 「モーターサイクル・ダイアリーズ」 (2004/米=独=英=アルゼンチン)

amazon ASIN:B000803C8O ウォルター・サレス 「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観た。
キューバの革命家であるチェ・ゲバラが青年時代に友人二人と南米を旅する様を描いた典型的なロードームビーである。原作の『モーターサイクル南米旅行日記』は映画のタイトルと同じに『モーターサイクル・ダイアリーズ』と改題されて最近文庫で出ているようやけどこちらは未読。

なんとなくそれなりに軽いノリで貧乏旅行に出かけて見たものの、貧しかったり虐げられていたり病気として隔離されていたりする人々を見て彼らと接しているうちに、我知らず彼らを取り巻く問題を自分に関わる問題として捉えてゆく。とそこまではまぁどちらかと言うと月並みな物語である。普通の並の人間ならこの経験を元に人生の深い何らかを知る。ってな個人的な話で終わるのやけど、結局ゲバラはこの旅行の経験が大きな契機となって、虐げられた人の味方として革命に身を投じるわけであるらしい。
勿論こんな旅をした人が誰でも革命家になるわけではなく、結局ゲバラはこの旅で一般大衆たる我々が同じ旅をしても見るであろう事を見て、経験するであろう事を経験して、その後に我々一般大衆が考えない事を考え、見過ごした事を見逃さず、又別の問題意識をもって社会に関わるようになったと言う事なのだろう。
この映画の時点で彼は中々に熱くも良いヤツでカッコ良い青年であるけど、将来革命家として立つとはちょっと想像できない。

彼はその後親しみを込めた呼びかけである「チェ」をつけて呼ばれるほどに一般大衆に好かれた革命家にになるわけやけど、その親しみやすさこそ、彼が余りにも人望のある普通の青年で革命家然としていない部分によるものが大きかったのでは無いだろうか。と思った。
まぁその人について語られた映画からその人を語るのも妙やけどね…しかも映画の話じゃないし…

ゲバラがチェ・ゲバラであるゆえんは時代的にこの映画の先にある革命運動にあるわけである。
実際私がこの若者のロードムービーを観ようと思ったのは、それがゲバラの若い頃の話であったからだ。
しかしながら映画を観始めるとそれがゲバラがどうかは余り関係なく、ただの若者たちの淡々とした旅をただ淡々と観ていた。ストーリー的な山も谷もなだらかで淡々としているのに、気付くと何故か感動している。と言った感じである。

「革命家ゲバラの若い頃」ってな映画のストーリーの後に来る物語を前提とした映画のストーリーを語るに見せかけて、実際は前提なしで映画そのものをじっくり見せる、不思議と心温まる映画であった。

2008年04月03日

●カラ兄/歓迎会/お茶会

本日も引き続き『カラ兄』を読む。いよいよフョードルの暴走が本格化して来た。彼が疑心暗鬼になって叫びだしたかと思えば、次の瞬簡には自分の言った事を無かった事にして根拠も無く勝ち誇っている様はいつ見ても哀れみを誘う。結局彼は自分の言った事の責任を取らされる羽目になるわけである。
と言うわけで一巻読了、続いて二巻に入る。

職場の新人歓迎会に参加する。かつて衛生兵であり、この間まで工兵であった新兵の挨拶はなかなか見事であった。老兵である先任軍曹としては嬉しい限りである。
歓迎会後、今まで余り話した事の無い人達に誘われてお茶する。中々有意義なお茶会であった。

2008年04月02日

●上賀茂神社のボス桜はまだ蕾

十分ほど早く家を出て、上賀茂神社まで遠回りの寄り道をして桜チェックの後に出勤する。一番巨大な大ボス枝垂桜はまだまだ蕾、中ボスは七部咲きと言ったところ。逆光で見るこの桜は中々に貴重だと思う。

今日も鬼のように忙しかった。皆が自分の事で一杯一杯ながらも、殺気立ちながら人の仕事を手伝おうとする様が可笑しかった。
入隊一ヶ月の兵士が激戦地の地雷と狙撃手だらけの最前線へ単身で送り出され、何とか作戦行動を完遂して生きて帰ってくる様は感動的ですらある。老兵もまだまだ負けてはいられないし、おいそれとは死ねない。消え去る日が来るまで戦い続けるのみ。

内線電話がコードレス電話になり留守番電話機能までついた。内線に電話をかけた筈なのに、不意に留守番電話になる状況と言うのも中々可笑しいと思う。

そこそこの時間に家に帰り、映画の感想を書き溜めた後、引き続きまったりと『カラ兄』を読む。フョードルもミーチャもラキーチンも相変わらず、ゾシマ長老もアリョーシャも相変わらずである。まぁ本やから当然やけど。
やっと一巻の半分。まだまだ先は長い。

2008年04月01日

●新訳『カラ兄』を読み始める

昨日から新訳のカラマーゾフの兄弟を読み始める。
借りる時にホンマに期限内に読み切れるか?と弱気になったので1、2、3+5巻を借りた。
4巻が抜けているのはなぜだというご質問にお答えすると、本来は1、2、3巻だけ借りるつもりだったのやけど、5巻の「カラマーゾフ万歳」の大好きなシーンだけはどうしても読みたかったからである。ご理解いただけたであろうか?

ゾシマ長老のキャラにちょっと違和感があるものの、私の大好きな「無作法な会合」はいつ読んでも面白い。
フョードル・カラマーゾフが、普段はチキンなのに酔っ払って気が大きくなると、自分の独善を前提にして他人を一方的に罵倒して勝ち誇る悪趣味な様は、読者の立場としてはたから見ていると哀れみか嘲笑をしか誘わないけど、ミウーソフのようにいざ罵倒される方の当事者になってみれば結構当惑するものなのだろうなぁ。と人ごとのように想像する。

気付くととても遅かった、帰るにもお腹が空いていたので職場近くでご飯を食べた。普段余り喋らない人と話す事が出来て中々に有意義だった。