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2008年02月29日

●二月終わり

二月最後の日であったが結局予定していたコードの正規化の仕事は完了しなかった。三月に入れば全く別の仕事が待っているのでこの件はしばらく保留という形になる。悔しいし徒労感もあるけど、いたしかたない。

今になって思えば私が一人の友を失ったと言うのは私の傲慢が原因であるからだろう。巻き添えを食ったと言えなくも無いけど、全ての橋が焼かれたのではなく、特定の、私が渡る事の出来ない橋はまだ残ってるのだ。
結局の所、彼にとって私の存在はその程度のものであったと言う事に尽きるのであろう。
友と言ったところで、今となれば私が一方的にそう思っていただけなのかもしれない。悲しくはあるけれど。
「つくべき縁あればともない はなるべき縁あればはなるる」とあえて親鸞さんの言葉を引用して言っておこう。彼が彼で楽しくやっているならば、この後に及んで私に出来る事など何も無い。

という事で、解決という形になら無かったのは残念ではあるけど私の中でこの問題はクローズさせる。
他に悩むべき事などいくらでもある。もう気にする事は止めておこう。
たとえ何かが失われたとしても、これで何かが得られていればそれで良いとしておこう。

他人が自分に対して向ける愛に基づく行為は出来るだけ肯定したいとは思う。
しかし、「愛」なる動機にに基づく行為であれば、何であれ受け入れられて肯定されるべきであると、他人に対して要求するのは傲慢である。
と言うところだろうか。

2008年02月28日

●ミヒャエル・ハネケ 「ベニーズ・ビデオ」(1992/オーストリア=スイス)

amazon ASIN:B000JVS58Y この間ミヒャエル・ハネケのデビュー作である 「セブンス・コンチネント」を見てとっても怖かったのだが、続いて彼の二作目の監督作品である「ペニーズ・ビデオ」を見た。
何でも前に見た「セブンス・コンチネント」とこの映画、そして次の作品である「71フラグメンツ」とあわせて「感情の氷河化三部作」と呼ぶらしいのでとりあえず見とこうか。という感じである。

ストーリーは裕福な家庭の一人っ子で鍵っ子のビデオオタクの少年が、道で知り合って家に呼んだ少女をものの弾みで屠殺用の銃で殺してしまう。少年はその一部始終を撮ったビデオを両親に見せて…という感じである。
と書くとスプラッターでスナッフなのを想像するけど、実際は殺人シーンもフレーム外で行われて直接は映っておらずひたすら物語りは淡々と続く。
直接的な映像は無いものの、少年が少女を殺してしまう所はちょっとありえんくらいに怖い。

この監督の描く恐ろしさというか怖さというのは見ている我々が何時でも自分の事として同じ状況で同じ領域に踏み入ってしまう可能性を多分に示唆しているところにあるような気がする。
前に見た「セブンス・コンチネント」の絶望しかり、この映画の「ものの弾みの殺人」とその後の行動も理解できるが故になんとも言えない怖さで迫ってくる。

前作同様に「絶望した母の嗚咽」が相当にきつい映画であった。

2008年02月27日

●薄くて軽くてポップで黄色なストイック

nico_yellow_ll.jpg
 アドエスを心置きなく無茶できるようにW-SIMを差し替えて使うための「nico」っていう電話を某オークションで買った。

カメラもなくWEBも画像も見られず、添付されたファイルは問答無用で消され、当然のようにイヤホンジャックも赤外線ポートも無い、電話とメール以外の機能を完全に削ぎ落としてある。
土偶父にこの端末を見せたら「年寄り用のやつ?」と言ったくらいにシンプルでかつストイックな端末である。まぁストイックと言う割にはポップな色調であるが、土偶の好きな黄色である点も良い感じである。
「電話とメール端末でしかありえない」この電話は「電話機能がついたパソコン」であるアドエスとはおおよそ対極の位置にあるだろう。

この端末は軽くて薄いのでネックストラップにぶら下げやすく、予備用だけでなく仕事の時にも使おうと思っていたけど、使ってみるとメールの送受信が異様に早いのがとても素晴らしい。やっぱり電話はこうあるべきだと思う。
なんかこの端末をずっと日常的に使うのもいいかも。W-SIMなしのアドエスは電話機能の無いパソコンやから単体でも十分使えるしなぁ…

2008年02月26日

●平和(ピンフ)

水を被ったごとくに頭を濡らして股から膝にかけて見事に裂けた雨合羽の間からスーツを覗かせ、初めて会うレディーの前に自転車で雨の中を颯爽と登場する漢にときめかずして何にときめくと言うのだろうか。
それに引き換え殆ど初めてちゃんと喋るレディーに対して、城への思いと図書館への思いをそれぞれにテンション高めで熱く語るおっさん二人はさぞかし暑苦しかったに違いない。久しぶりに食べるのを疎かにするくらいに喋りまくった。

出発する寸前に念を押されて、持っていくのを忘れているどころかその存在すら忘れていた事に気付き、さらに会計を済ませた後で渡すのを忘れていたの思い出した「クーポン」なる概念がトラウマになりそうである。

それでも、城が燃えず、図書館にゴキブリが侵入せず、雨合羽が裂けない限り、世界は平和である。

2008年02月25日

●三兎を追って二兎くらいは捕獲したい

なんだか今日も良く働いた。ずっと独りでキーボードと格闘していて、はっと気づいた時には誰もいなかった。
自分からやり始めたコードとロジックの正規化と言うか標準化と言うか書き換え作業やけど、これは将来的なシステムの拡張に備えて「やっておいた方が良い(かもしれない)」レベルの仕事であり、どちらかというと特に今しないといけない必要があるわけではない。
当初の予定では既に今頃は終わりが見えてきているくらいだったのだが、やっているうちに気づかなかったバグが見つかったり、ここのルーチンは美しくないとか言って書き直したり、と思ったよりも時間がかかっている。
他にも差し迫った仕事が近づいてきているのでその準備もしたいし、このまま続けて良いものかどうかちょっと迷い気味である。うむぅ参った。

2008年02月24日

●オタール・イオセリアーニ 「蝶採り」 (1992/仏=伊=独)

amazon ASIN:B000EULVJK オタール・イオセリアーニの「蝶採り」を観た。
フランスのどこかの城のある片田舎、車椅子に乗ってシングルアクションのリボルバーで蝋燭や空き缶を撃つのが趣味の城の主である老婆と、弓矢で池の魚を採り、教会でオルガンを弾き、トロンボーンが趣味のいとこを中心に、ちょっと変わった村人の日々の生活が綴られる。特に何が起こるわけでも無いのやけど、
町並みは綺麗やし皆自転車乗ってるし上品でおしゃれさんでかつ個性があって、何もせずに暮らしているだけで絵になってしまう、如何にもフランス映画という雰囲気がした。
何よりももこの映画の中のフランス語の響きが良い。

主となる人はお年よりばかりと言うところが良かった。最近は殺伐とした映画ばっかり観てたけど、まったりとしてほっこりする映画であった。

しかし、どのあたりが「蝶採り」??

2008年02月23日

●オープン・ウォーター(2003/米)

amazon ASIN:B000A16D2S  かなりの低予算の割にかなりヒットしたらしいオープン・ウォーターを見た。
タイトルの通り、ダイビング中に周りが海しか見えないオープンウォータに取り残されたカップルの物語で、パッケージ通り恐怖のメインとなるのは「サメ」である。
伏線通りにサメを呼び集めるような行動を繰り返して、気づいた時にはサメに取り囲まれている。そんな感じの話がテレビの再現ビデオのように続く。これは中々に怖い映画やった。
想像するだに一番怖そうな夜のシーンが殆ど無かったのが残念ではあるけど。

この映画はマグロの肉でホンマもんのサメを呼び集めて撮影したらしく、うじゃうじゃいるサメはCGでもなんでもないらしい。
そういう意味では、素潜りで魚を銛で突くという、一番サメを呼びやすい事をしている私にとって、サメって狂乱索餌状態でも意外に人に食いつかないもんやなぁと逆に感心した。
私にとってこの状況は、砂漠をピストで踏破するのを試みる、半そでTシャツでエベレストに上ってみる、と同じ位の、実際そうなったらしんどいやろうなぁ。という話であった。

ネットではこれが実話に基づいているという所に拘って叩かれていたけど、そもそも自分が真実だと思っている事すらどれだけ実話なのかも怪しいと思う人間なので、映画や小説が実話であるという事にどれだけ価値があるのか良く分からない。実話かどうかなんかどっちでもいいレベルやと思うねんけどねぇ。
売る方もこの映画の「実話」の部分を強調しすぎじゃないだろうか。と思った。

2008年02月22日

●我々がホルモン焼きを食べる様は力尽きたシマウマにハイエナが群がるかのようであった

仕事後に自転車ブラザーズとその妹の三人で自転車に乗る。
トレインを組んで走っている途中にかけたアタックに誰も反応してくれなくてちょっと寂しかった…しかし自転車で走っているだけで妙に楽しい。

我々三人の自転車も服も中々決まっているではないか。そのへんの他を寄せ付けない雰囲気のメッセンジャーカルチャーショックな人々に負けてないぞ。このあたりの熱すぎず冷たすぎずなスタンスが(まぁ俺は熱すぎるかもやけど)一番良いかと思う。
「自転車は趣味では無く生き方の一部である」などと心ひそかに思っていてもそれを主張してしまうとダメで、その人を見てるとそれがにじみ出てくるくらいで無いといかん。生き方は主張するものではなく実行するもんであろう。能書きの多いモノは大抵ニセモノである場合が多い。
と書いて「ハッ!?」と人ごとのように言っていた自分を見つめる土偶であった。

2008年02月21日

●アドエス初フォーマット

朝起きてお天気情報を取得している途中にアドエスがフリーズした。何度リセットしても復活せず、何度フルリセットしても復活しない。
むむこれはフォーマットしかねーやんと歯を磨きながら決意して、取説を見ながらフォーマット、工場出荷時の状態に…
一ヶ月以上かけた(もう一ヶ月も使っていたのか!!)カスタムもチャラ。一から調教し直しである。さすがドエス…

という事で気分一新、見た目は派手やけど実は使わないTodayプラグインは不採用。結局「calendar_for_pokeP」「UKtenki」「実行中のプログラム」の三つでシンプルに。
その代わりにキーフック系のソフトに注力して「sortInchkey」を中心にしたキーカスタマイズを施す。

「WithAtok」で不要なATOK入力モードをスキップさせ、「ctrlswapmini」で日本語入力字のキーコードをフック。
「HookKeyHook」で通話/終話キーをフックして0x72、0x73のキーコードを発行して「sortInchkey」で受け取る。
Today画面のsoft1、soft2に別フォルダに置いたランチャの「Lode」を割り当てる。

で、カスタムの中核を担う「sortInchkey」の設定は以下のような感じ。

today画面での「win」長押しはファイラの起動、ダブルクリックはsoft1キー。
today画面での「OK」短押しはW-ZERO3メールの起動、ダブルクリックはsoft2キー、長押しは無線LANのON/OFFトグル。
その他での「Win」長押しはLode1の起動、「OK」長押しはLode2の起動
HookKeyHook経由で受け取った「通話」キーの長押しは「通話」、短押しは割り当て無し、ダブルクリックはYTaskMgr起動、HookKeyHook経由で受け取った「終話」キーの長押しは「終話」、短押しは割り当て無し、ダブルクリックはappclese、と言う感じ。

なんか書くとややこしいけど、実際使うと指になじむ感じでとても便利。こういうのは言葉で説明しにくい事の一つやね。

しかし、この電話は無茶な使い方をしているとまたいつ何時フォーマットする羽目に陥るか分からん。
ということで、アドエスが撃沈してしまってもその間に電話とメール端末しての機能を死守するためにW-SIMを差し替えて使うための予備電話機を購入を検討し始めたのであった。

2008年02月20日

●電気フタコブラクダの夢を見るか?

コードを一から書き直す事に決めた某システムであるが、この日を持ってクラス内のメソッドとプロパティとして利用されるユーザー定義関数と変数の再定義を完了。入力しやすさよりも可読を重視という事で、分かり易すぎるくらいの異様に長い関数名を「CamelCase」で使う方針にした。
関数の引数のType Hintingは取り合えず止めておいた。一旦現状の機能が全て実装できた段階で改めて書き加えよう。その代わりにコメントで詳細な関数のリファレンスを書いておく事にした。

この日息抜き仕事で壊れたカラープリンタのプリンタヘッドを交換する際に指がマゼンダ、イエロー、シアンと斑に染まってしまって洗っても洗っても取れなかったのやけど、パソコン関連製品が現実の指に現実の色をつける事が新鮮であると同時に、指についた色を消去出来ないのも不思議に新鮮やった。

ファイルが消えただの、プログラムがちゃんと動かないだの、データが化けるだのと言ったところで所詮仮想的な電子の世界の中の出来事に過ぎない。
コンピューターが発達する事で確かに世の中便利になったけど、便利になる事で余剰時間が生まれたかと言えばそうとも言い切れないだろう。何かが便利になる事はその便利になる根拠を保守したり新しく作る必要性が出てくるわけやし。
結局人間の忙しさは文明の発達の度合いに関わり無く一定なんじゃないかと言う気がした。

コードとばかり戦っているとプリンタのようなハードと戯れて息抜きしたくなるし、パソコンやとかプリンタばかり相手にしていると何かを書きたくなる。中々難しいものである。

2008年02月19日

●ミヒャエル・ハネケ 「セブンス・コンチネント」(1989/オーストリア)

amazon ASIN:B000JVS58O ミヒャエル・ハネケの映画デビュー作である「セブンス・コンチネント」を観た。

オーストラリアへの移住を希望する一家の3年間を三部構成にわけて描く絶望のドラマ。史上空前のラストが観客を待ち受ける。 タイトルを直訳すると第七の大陸。地球上には第六の大陸までしか存在しない・・・。

というパッケージ書きをレンタル屋さんで見て思わず借りてしまった、
その説明だけを見て、亡命に望みを繋ぐ家族が社会の底辺であえぎながらもやっぱり社会に押しつぶされるようなストーリーをなんとなく想像していたのやけど全く違った。

中流ちょっと上の三人家族、夫は仕事で出世のチャンスをつかみそうで、妻は母の死にまつわるごたごたからやっと日常を取り戻し、娘はちょっと変わっているけど可愛らしく素直である。言うなれば不安要素ゼロな感じの三人家族の日常の物語が淡々と続いているはずが、気付くといつの間にか彼らが救いの無い深みにはまっている事に、観ている我々が気付く。

はたから見る限り切っ掛けも理由も見当たらず愛する人もいるのに、いつの間にか完全に絶望しているのが逆に変にリアルで怖い。
説明は出来ないけどとても理解できる感覚のリアルさと、その感覚を理解できる事自体が更に恐ろしいと思わせるのである。

理性を保ちながら、正気を保ったまま確信を持って絶望してゆく様はなんとも恐ろしい。
絶望が心情的なものではなく、単なる真実でしか無いという状態は世界認識のある意味でのスタート地点ということになるのだろう。そしてそれは来るべき帰結へ向かって進みだす。と言うわけである。
絶望して映画が終わるのではなく、絶望してから映画の本当の展開が始まる作りであるのが全くたまらん。
前半の日常生活を描いた余りにも淡々とした描写のトーンが絶望後の半分以降も続いて、観ているとじわじわと効いて来る。
映画中に何度も登場する、洗車機で車が洗われるのを車内から見ているような圧迫感である。

これは中々きつかった。精神的に下降気味の時に観るとかなり辛いのは当たり前で、アッパーな時に観てもダウナーな気分になると思う、ちょっと笑えない映画であった。

2008年02月18日

●PHP Ethics

仕事で最初から一人で作って、すでに動作しているwebDBシステムやけど、右も左もわからない状態から開発を初めたので「何じゃこりゃ?」というコードが満載である。
俺流コーディングで動けばええやんと言う事で思うがまま思いつくままに任せて書き散らして来たので激しく可読性が低い。
しかも最近は開発当初と比べて想像以上に大掛かりなシステムへと発展してゆく方向も見据えた上で、バージョンアップと言う名の仕様変更をしてゆく必要性が出て来たので、その度ごとにコードを読むだけでもう大変なのである。「動けばいい」コードの限界で破綻する先がはっきりと見えてきた。

ということでこれからはPHPではメジャーな規格でもある「Zend Framework PHP 標準コーディング規約」と「PEAR 標準コーディング規約」を遵守してコードを書こうと強く思う。よーしパパ参照渡しもがんがん使っちゃうぞー。ってなもんである。
しかしながらこの二つの規約をよくよく読んでいるうちに自分のコードの一貫性と思想の無さに余りにも悲しくなってきたので、もうこの規約に基づいて書き直したくなって来た。
更に、ロジックとプレゼンテーションの分離の原則ってのがあるけど、今まではそれをプレゼンテーション側に解釈して、テンプレートエンジンのSmarty内で全くループを使わなかった。
これはプレゼンテーション側の可読性はよくなるけど、ロジック側の見通しが激しく悪くなっている事に今更ながら気づいた。
Smartyに配列を渡してループさせる方法を調べて見ると、なんやこれ簡単で見やすいやん。最初から使っとけば良かった。
もうこんな事を知ってしまったら今までのコードなんか不細工すぎて辛抱ならん。もう絶対書き直してやる。

「PHPは駄目な言語」やとか「そもそもPHPは言語なのか?」とまで言われているけど、プログラミング畑にいない私でもそれなりに動くコードが書ける言語仕様はとてもありがたいのである。しかしながらプログラミング畑にいないが故に俺流コーディングで突っ走り、今更ながら壁に突き当たり、プログラミングの世界では常識であるはずのコーディング規約の必要性が身に染みてわかった。
車輪の再発明と言うよりは、モラルと法の必要性の発見といった感覚である。
身近な先達がいなければ、その世界で自明であたりまえのものすら自ら再発明して再発見する必要あるという事だろうか。
徒労とは言いたく無いけど、一人荒野を歩くのは大変である。全くやれやれである。

昔から、なんでも一人でしようとする。人に手伝ってもらおうとしない。と言われる事が多い。
別に一人で生きて来たつもりなんか無いし、人に手伝ってもらうのが我慢ならんというわけでも無いし、意識してそうしているというよりは、そういう状態に慣れ切ってしまっていると言ったほうが良いと思う。確かに一人でやってしまうのが一番早くて簡単な事などいくらでもある。
しかしまた一方で、最近はそんな自分の何でも一人でやろうとするありかたに限界を感じつつもある。本当に一人で出来ない事と対峙してしまえば確実に破綻してしまうだろう。
なんだか「共闘」の必要性を最近特に感じるのであった。

2008年02月17日

●似非健全による健全さへのフィードバック回路

冬用のハンティング帽と言うかキャスケットがちょっと欲しいので服屋さんを巡りつつ、美松映画劇場跡の古着屋さんに初めて行った。外装と内装が良い感じに何物にも当てはまらなさそうな異空間を醸し出していた。
売ってるものも中々良い感じやけど古着に混ぜて自社ブランドの商品も陳列してあり、ドサクサに紛れてそっちも売ろうとするのがうまい事やるなぁと感心した。
しかし服がいっぱい売ってるのを見るだけで妙にテンションが上がる。思わずエンジニアブーツを衝動買いしそうになったのだが何とか踏み止まった。

美味しい魚を出す居酒屋で魚料理を食べまくる。美味しい魚を食べる事の幸せは何にも増して格別である。竹串で殻から引きずり出したつぶ貝の塩茹でを噛み締め、マダイのアラ炊きを芸術的なまでの綺麗さでもって食べ尽くす。船盛、ホンマもんのシシャモ、などなど。魚を身近に感じると激しい海への渇望が湧き上がってくる。

パスカルが信仰を持ちきれていなくても信仰に基づく言動を習慣付ける事によって信仰を持てるようになる。という事を言っていた様に、健全な言動を心がける事でその人が健全さを得る事は可能かもしれない。

滅茶苦茶寒くてもとにかく外に出ると気が晴れる。
日曜の午後に自転車で出かけてカフェと服屋さんを巡り、夜に美味しい魚を食べて梅酒を飲む。この健全さが私自身にフィードバックすればいいのにと思う。
絵に描いたような健全さが、絵に描いた餅にならなければいいなと願う、吹雪の夜であった。

2008年02月16日

●ママチャリ離れしている母のママチャリ

母のママチャリ(重言ではない)はクロモリフレームに前後キャリパーブレーキ、その上に仏式バルブなチューブとアルテグラのブレーキパッドとマグネシウム合金のピンペダルまで装備しており、ママチャリに見えてママチャリでは無い。
しかしながらタイヤは溝が無くなって硬化したゴムがひび割れまでしており、いつパンクしてもおかしくない状態であった。雪道でのドリフトにはもってこいでも、荒れた道では直ぐにパンクするに違いないという事でやっとのこと交換した。
しかし、ここまでボロボロになるまで使われてタイヤも本望であったに違いない。正に天寿を全うしたといえよう。

私自身の雪泥兼用のブロックタイヤのサイド部分も破れてきて、走っていると振れて見えるのでそろそろ交換したいのだが、これといったカラータイヤが売っていないのだ。早く買わんと雪の季節終わるがな。

2008年02月15日

●健全で無ければオムレツ屋ではないか?

仕事帰りに時々行くオムレツ屋さんでオムライスを食べる。私はこの店の余りにも完璧に成形されたオムレツを見てオムレツ道へと踏み込んだのであった。
自分がそのオムレツ道に踏み込んでその道の険しさを知れば知るほど、プロの作るオムレツやオムライスを見る度に、余りにも完成された「形」に感激して心が震える。オムレツ道の遥か頂上は眩しいばかりである。

このお店は酒が出ないせいか、オムレツ屋さんという位置づけのせいか、何時も来る度に私はこのお店で浮いているのじゃないかとソワソワするくらいにお客さんの年齢層が結構低い。
ぱっと見て仕事帰りのOLやサラリーマンと判る人は皆無で、高校生メインのぽつぽつ大学生と言ったところ。しかもこの日は金曜日である。確かに金曜日の夜に酒なしでオムレツを食べると言うのは健全すぎるほど健全である。更には何故か深夜のファミレスなんかと違ってドキュな方々は一人もいらっしゃらずとても良い客層だなぁと感心する。
このオムレツ屋さんと、金曜日の夜にこのお店に来るような若人達に幸多かれ。と思いながら激寒の中を自転車を走らせて帰った金曜日の夜であった。

2008年02月14日

●道路凍結、日常生活に支障はあるか、施し

この日の朝も道路は凍結していた。激坂の下りで後輪を流しながら、信号待ちからのスタート時に後輪をホイルスピンさせながら出勤する。

肉体的な異常は日常生活に支障が出た時点でかなり病状が進行している事が多いのに引き換え、精神障害が病気とされるのは日常生活に支障が出るかそうでないかで判定するべきであるらしい。日常生活に支障が出れば病気、そうでなければ正常。と判りやすい。
なぜなら精神障害を症状そのもので判定してしまうと、殆どの人間が何らかの範疇に入ってしまうからであるという。
人間はその異常な部分と正常な部分のせめぎあいとしての精神状態をもっていて当たり前で、それらのバランスを取りながら暮らしていると。
ネガティブ要素を持っているのは当たり前でも、そんな部分に日常生活全てが乗っ取られてしまうとイカンと言うわけですな。
でも、その尋常ならざる精神状態に本人が慣れてしまって「日常生活とはそういった不具合があるもの」と思ってしまえば、異常と正常の境界線など簡単に書き換えられてしまうわけで中々難しいものである。

この日はバレンタインデーであった。この日、告白的要素の無いチョコレートの授受は限りなく施しに近いものがあると思った日であった。
チョコ(やシフォンケーキ)を下さった貴方に神の祝福がありますように。
と施しに対する御礼をヨーロッパ的に。

2008年02月13日

●本気で寒いと思った日

私の部屋の目覚まし時計には湿度計と温度計がついているのだが、この日朝起きて目覚まし時計を見たら室温が1℃だった。余りにも中途半端なのでどうせなら0℃の方が気分が良いわいと寝ぼけながら考える。

窓から外を見ると雪が積もって道路だろうが屋根だろうが満遍なく白い。もう一面が銀世界である。これは自転車で通勤したら転ぶじゃないか。という事で朝食後にオンロード仕様としてスリックタイヤを履かせているマウンテンバイクをブロックタイヤに交換して出勤した。

バスで仕事に出かける。という選択肢を最初から考慮にも入れず、当たり前のように出勤前にタイヤ交換をしてまで雪が積もった吹雪の中を出勤する事が変わった行動である事を指摘されて始めて気づく自分にちょっとだけ呆れつつも、そんな自分がちょっと愛しかった。

2008年02月12日

●プチ社会復帰と吹雪

久しぶりに働く、いや社会復帰と言ったレベルの久しぶりさだった。
何かを作り、何かを生み出し、何かを組み合わせてより高次な動きを作り上げる事は楽しい。
何かに没頭して自分自身と向き合わないで済む事がとても楽でもあるうえに、自分がそれに関わる事で自分自身の価値を見出せたような気になるからだ。パスカルやアウグスティヌスから言わせればそれは本質的な真実から目を逸らそうとする「罪」になるのやろうけど。

仕事帰りは雪が降っていた。前なんか殆ど見えない上に走っているだけで体と言わず自転車と言わず雪が積もってくる。この吹雪加減が余りに凄いので思わず笑ってしまう。
吹雪の中ニヤニヤ笑いながら自転車を漕ぐおっさんはさぞかし不気味であったろう。

「自分は鬱である」と他人に話してしまうと本当に鬱になってしまうのでなるべく言わないようにしていても、人間にはやっぱりある程度の他人に対する説明義務ってのがあるのでそうもいかないのだろう。と脈絡無く唐突に思った。

2008年02月11日

●古き良き?テキストサイト

連休最後はずっと引きこもりである。アウグスティヌスの事を調べていたはずが、いつの間にか「サイコドクターあばれ旅」なる精神科医をやっている人のホームページをずっとを読んでいた。
結構古いサイトらしく、今は移転しているらしいけどその移転先はまだちゃんと読んでない。
コラムやら感想やらの文章はもちろん面白いのやけど、精神科で処方する薬やらの広告を集めた「精神科薬広告図像集」がかなりインパクト大である。
これとかこれとかこれなんかそのままやん…
ページ内にアンカーが無いのでやむを得ず直接画像にリンクを張って申し訳無いけど、全体の入り口としてはこちらになる。

更新は止まっているけど、とても面白い上に勉強になった。例えば「うつ」と「境界例」の違いとか。

まだまだ埋もれた素晴らしいページってのは沢山あるのやろうなぁと思った。

2008年02月10日

●小さな巨人は普通の人

ごく一般的なピザを注文したつもりが運ばれてきたものがティッシュの箱くらいの大きさの餃子状のものでびっくりした。
と言っても生地が膨らんでいるだけで中は殆ど空洞なので、いざ食べ始めると見た目ほどのインパクトは無いのやけど。
なんでもこれはただのピザじゃなく「カルツォーネ」なる食べ物らしい。ネットで調べてみると同じ名前で同形状でかなり小振りのものがチェーン店のパン屋さんで売られているようだ。そういえば見たことあるような気もする。しかしそのパン屋さんで売られているものとそれが同じ名を冠するものだとはとても思えない。

余りにも大きかったり小さいものはその「大きさ」や「小ささ」だけが際立って他の特徴を隠蔽してしまうように思える。「巨大何々」や「極小何々」は「何々」が大きくなったり小さくなったものというよりは、「何々」ではない全く別の物のように見える場合が多い。
極端なサイズの違いは、そのものと他のものの大きさ以外の類似性を吹き飛ばして、圧倒的な独自性を主張するすほどの強烈な概念なんだなぁと。

2008年02月09日

●雪を見て海を想う

家の前の道が凍結し雪に閉ざされたような状態で一歩も外にでられないのを良い事に丸一日ずっと本を読む。
この日でアウグスティヌスの『告白』を全部読んでしまった。ゆっくり読むつもりやったのだが…

別に仕事だけを自分を位置づけるものにしているつもりは無いけど、なんだか最近休みが多くて自分が何をしている人か良く判らなくなってきている。更には余りにも日常から乖離した生活を送っているうちに一般的な人間性からも逸脱してしまっているような気までしてくる。
海底から水面を目指すのに一番いい方法は海底を蹴る事だろうって事で潜ってしまったからにはとりあえず底まで行っておく。ってのは誰にでも判り易い例えでは無いのだろうなぁ。などと思ったり。
海に行きたい。

2008年02月08日

●たまには良く働く働きアリのように

この日持って来るべきものをいくつか家に忘れている事に気づく。確実に連休ボケである。
結局の所、一定期間になすべき仕事量は一定であるから、休みが多くなると言うのは、その分の仕事が休みで無い時間に回されて単位時間当たりの仕事量が増えると言うだけの話であるので、休みが多いのも良し悪しである。
何とはなしに消化試合ムードが漂う中、それでもそんな気配を頭から追いやって必死で働く。良く働く働きアリのように数日分の巣を掘りまくる。

飲み会後に帰ってから本を読むも気づけば朝方であった。ふらふらした頭を抱えながらなんと一日は短いのかと嘆きそうになるけど、何もそんなに慌てる事は無い。と思いなおした。

2008年02月07日

●『告白』半分過ぎ

一日アウグスティヌスの『告白』を読んでいた。10巻に入り過去の告白の部分は終わったのだがとっても感動した。
良く考えれば西暦400年くらい、今から1600年以上前の人の心の動きがダイレクトに伝わって来て我が事のように共感できるってのはとても不思議な気がする。時間と場所を超えた普遍性とはこういう事を言うのだろう。
でも逆に言えば、文明の進歩が全く介入できない個人性のレベルで、普遍的に我々は血の涙を流して苦悩する存在でもあるわけだ。いくら科学的知が発展して増大しても人間個人の問題は変わらないと言うのは当たり前といえば当たり前だ。

今まで家にあった無線LANのアクセスポイントはちと古くて、パソコンなら何とか動くもののアドエスではちゃんと動かなかったのだが、新しいアクセスポイントにして繋がるようになりとても快適である。しかしこの事でアドエス用に買ったUSB有線LANの存在意義が殆ど無くなってしまった。
一つの価値の興起や復権は、別の一つの価値を完膚なきまでに叩きのめすのであった。

2008年02月06日

●在り難く無いアニサキスと在り難い生麺

前日にスルメイカ解体中にアニサキスチェックにてアニキ発見。刺身は入念にチェックしたから大丈夫なものの、塩辛はどうしたものか?まだ肝臓にもいる可能性は低いものの、さすがにここはチェック出来ないぞ。でもまぁ、「一晩冷凍すれば死ぬやろ?」という事で強行、塩辛を作る。
寄生虫を意に介さないタフさは我ながら天晴れである。

しかしこのタフさは私の野蛮性と非文明性から来るのではなく、高度な知識と論理性に裏づけされた知性から来るものである事を強調しておきたい。大抵の恐怖は未知から来るものであるからして、寄生虫のメカニズムと対応策さえ把握しておけば、アニサキスなど恐れるに足らず。と言うわけである。

前日にやっぱりイカは美味しいなぁ。と散々思ったので、この日パスタ屋さんでついつい生麺のイカ墨スパゲティーを食べた。
生麺のスパゲティーというとそれだけで価値があるように思えるけど、「ラーメンとおんなじやん」と考えると一瞬にして有り難味が吹っ飛ぶのは不思議である。パスタ屋さんの厨房に「近藤製麺」と書かれた箱が積んであれば「えーっ」であろう。

そいうわけで、生麺のパスタだと言うだけでやたらと祭り上げる風潮はいかがなものか。ラーメンなんか全部生麺ではないか。と思いつつ、透かし彫りなハンティング帽と「首に巻くやつ(名称不明)」とワッフル生地なズボンを買った、とても天気の良い午後であった。

2008年02月05日

●本読み期間に突入

最近映画ばかり観ていたけどそれもちょっとお休みして集中的に本を読もうと思う。この休み中にアウグスティヌスの『告白』を読破してエックハルトに入る予定やったけど、そんなに慌てて読むような本じゃないなと思い知った。
最近は本を一気に短時間で読むだけでなく、ゆっくりと読めるようになった気がする。
ゆっくり歩めばそれだけ道端の花も目に付きやすくなると言うものだ。

しかし、これほどまでの人間がこれほどまでに謙遜で清らかになれるのかと読めば読むほど感動する。
それに引き換え私の傲慢さと醜さはどうだろう?もう心底うんざりである。

前に読んだパスカル、今読んでいるアウグスティヌス、ちょっとチラ読みしたエックハルト、彼らが絶対の真理としているものは全く同じである。彼らが、真理と幸福を同時に求めてそこにたどり着いたと言う事は大きな意味があるように思える。真理と幸福がこの世の中にあるとしたら、そこ意外からは生まれないと彼らが断言している事は何かしらの真実のように思える。
結局のところ、私が求めているのもそれなのかもしれない。
それでも、自分に絶望するにはまだ早すぎる。もしかしたら、万が一にでも勝てるかもしれない。そういったものを自分自身の手で手に入れる事が出来るかもしれない。一度手にした銃は弾薬が尽きるまで撃たないとね。

2008年02月04日

●歪ミーハー

平日の昼間に街中に出ると人が少なくてとても快適。服屋も靴屋もコーヒー屋も電子部品屋もガラガラである。
余りにも客が少ないので暇そうな服屋の店員さんなどはやたらと話かけてくる。思わず靴屋のお姉さんと靴磨きについて熱く語り合ってしまった。
服屋さんや靴屋さんで散々喋っておきながら基本的には買う気は殆ど無い。服や靴や鞄屋も一目惚れして思わず買わせてしまうくらいの商品を作ってみろやーと思う。
その点、電池ボックスやらワニ口クリップなどの電子小物は私の琴線なポイント直撃である。
高校生が確実に不必要な雑貨をイノブンで買い漁るように、私は電子部品屋で特に必要のない電子小物をついつい買ってしまう。まぁ安いしね…
結局買ったのは、電池ボックス、ACアダプターのジャック、端子台、ワニ口クリップ、プリント基板くらい。
なんというか、私は歪んだ形のミーハーなんだなと思った。

2008年02月03日

●北野武 「その男、凶暴につき」 (1989/日)

amazon ASIN:B000UMP1FC この映画は北野武の初監督となるものやけど、当初は深作欣二監督、ビートたけし主演の企画だったものが何かのスケジュールの都合でたけし自身が監督も努める事になったらしい。
この映画の公開当時はバブル期真っ盛りで、同じような異種業界の監督の映画が量産された時期でもあったので、彼が監督を務める事にそんなに違和感が無かったのやろう。
結局この映画を切っ掛けに「北野武」は世界的な映画監督になるわけで、そう考えるとなんとも不思議なものである。

ストーリーは警察署内で浮いた存在であるやたらと暴力的な刑事が、麻薬捜査を進めるうちに冷徹で凶悪な殺し屋と渡り合う羽目になるというもの。
暴力描写が中々に痛い上に中々にエグい話満載。バブル真っ盛りに撮られた映画にもかかわらず全然そんな雰囲気が無いのが結構新鮮やった。
この映画を見た事の無かった私が何故か知っていた、笑いながら犯人を車で追い掛けて轢くシーンは意外にコミカルやった。
しかしそれがコミカルであるところがこの監督の怖い所やなぁと思った。

2008年02月02日

●「オーメン/最後の闘争」 (1981/米)

amazon ASIN:B000A0D92Q オーメンシリーズの3にあたる。「オーメン/最後の闘争」を観た。
おっちゃんになってソーン産業の社長となったダミアンは、イギリスに生まれた救世主たるべき存在の抹殺を企てる。一方、救世主を守ってダミアンを滅ぼすべく、イタリアの修道士が7つの短剣をもってダミアンに迫る。
と言うストーリやけど、シリーズものの常として回を重ねるごとにボルテージは下がる一方。
伏線もなんもあったもんじゃないし、残虐シーンもないし、ダミアンはんも全然悪魔っぽく無いし、もうグタグタ…

「人は自分の欲望と悪を取り違える」という悪魔の子ダミアンの台詞に妙に感心したものの、その悪魔の子ダミアンがベッドの上で人間相手の女相手に欲望むき出しで獣になっている所で失笑、最後の最後の「この悪魔っ!!」って台詞に「そのままやんけ…」と失笑。
硬派なオーメンの続編としては「えーっ??」な感じやけど、この単語とモチーフだけ黙示録的な胡散臭くカルトな雰囲気はB級バカ映画としては中々良い感じであった。

映画の中でダミアンが生まれつつある救世主の事を「ナザレ」と呼んでいたけど、ナザレというのは「ナザレのイエス」と言うように地名じゃねぇの?と思ったのだが、その後調べてみたところ、自らの志願や神からの指名を受けて特別な誓約を神に捧げた者を「ナジル人」と言うらしく、「ナザレ」ってのは「ナジル人」の意味もあるのやと知った。
いやー勉強になった。

2008年02月01日

●前線で善戦

一人だけで何かしらの仕事に打ち込んでいると波に乗った時はその波の勢いに任せて何処までもいける。しかし、倒れたり穴に落ちるとどうしようもなくなってしまう。
一人で前線で銃を撃ちまくるのは楽しい。しかし同時にいつまでもこれを続けているわけにもいかないし、続けられない事も分かっている。
かと言って、私にどれだけの選択肢があるというのだろうか。

私が開発に関わったシステムのバージョンアップと仕様変更もサクサク済ませ、DHCP+tftpからのPXEブート、USBメモリからのブート、CD-ROMブートのノウハウを得た。ブートローダーからDOSのconfig.sysまでと余りにレガシーで古い技術とずっと向かい合っていた。汲み尽くされ荒野となった遺跡のような地で車輪を再発明しているような気もしないでもないけど、文明の発祥の地は中々楽しかった。再発明に失敗していたときの事を考えるとゾッとするけどね。

この週は良く働いた。一か月分くらいは働いたんじゃないだろうか?